2011/11/02

忘れられない夏の物語

明日(11月2日19:00〜)のMBC(南日本放送)「どーんと鹿児島」にて
社長は高校生~鹿児島修学館高校 文化祭~」という1時間のドキュメンタリーが放送される。

















今年の夏、このプロジェクトを通じて、僕は約70名の生徒たちと関わった。
進学校でありながら、学力だけではない「社会人基礎力」を育成する高校。
その取り組みは先進的であるが、それ以上に学校現場では
そういった社会人基礎力の育成が求められていた。

この「株式会社プログラム」では、リアルな会社を体験できるように徹底的に作り込んでいる。
さらに、生徒にとって大きいのは、多くのことを生徒自身が決めることだと思う。
売る商品、生産方法、価格、人材の配置、給与、利益分配、自分たちで全て考えて決める。
言うなれば、生徒自身で問題用紙を作って、答えを書いて、採点までして、反省までする。
付け加えておくと、これはただの模擬店ではない。使うのは“ヒトのお金”である。
そこには自由だけではなく、責任が伴う。どんぶり勘定の模擬店とは本質的に異なる。


社会人基礎力では、考える力、行動する力、チームワークの3つの要素をあげている。
今回、生徒たちはそれだけでは測れない、大きなものを学んだ。
それは社会がどう動いているか、会社がどう回っているか。
そして、その根本には「ヒトは一人では何もできない。だから、力を合わせる」という考えがあることを。



僕は外部の人間として、このプロジェクトに関わるなかでずっと考えていたことがある。
「10年前の自分が受けたい」と思えること。

押し付けられたことはいずれ忘れてしまう。
だが、自分で取り組もうと決めたことはずっと忘れない。
その差を主体性という。
主体性のない教育には先はない。

だから、迷う生徒たちを目の前にしても、
彼彼女らが考えて結論を出すまで待つことにしていた。



仲間とともにゼロから作り上げた会社。
伝えることがこんなにも難しいと知ったこと。
自分たちの意見を持って、行動する姿勢。
悔しくて涙を流した放課後。
自分の力が及ばずに、うなだれた日。
考えていたことを現実にできたチームワーク。
急なトラブルにも対応できた冷静な判断。
株主と社員の間で揺れた感情。
初めて給料を手にしたこと。





迷い、立ち止まり、考え、ぶつかり、黙り込み、
前に進むことをやめなかった彼ら。


その彼らが辿り着いた結論、一つの物語をぜひご覧ください
(鹿児島県内在住の方しか見れません)


流行言葉から読み解く

今はグローバルの時代だという。
シェア、ソーシャル、つながり、コミュニティ。
なぜ、こんなにも“関わり”について表す言葉が反乱しているのだろう。
その根幹にあるのは何だろう?
僕は、自分と他者の関係性なのだと思う。
それは「自分がどう考えるか」と「他者がどう考えるか」の差を摺り合わせていくことだと思う。

しかし、しばしば「どう考えるか」以前に、
「自分は何者か」「自分はどう思われているか」という問いに苦悩してしまう。
その問いは必要なのだが、そこで立ち止まっていては「自分」は広がっていかない。

自分を広げるとは何か。
自分には、大きく4つの自己が存在する。


Hiddenの領域を他人に理解してもらう「自己開示」
Blindの領域を他人から教えてもらう「フィードバック」
この2つを通じて、Openの領域を拡大すると「自己」と「自分」の認識のズレが小さくなる。
この認識の修正は自信につながる。
逆説的だが、自分に自信が持てないのは信じているが本当かどうかわからないからだ。
ましてや、その対象が「自分」という意識のなかにあるものでは尚更難しい。
なので、他者とのつながりのなかで、自己をより明らかにし、自分=自己につなげていく。

つまり、関わりとは自分と自己の証明がスタートである。
その先に、協力や恊働が生まれる。
いや、協力や恊働を経て、そこに辿り着く。
そちらの方がずっと正しい気がした。

ランサー