2012/05/16

Think ホタテヤさん@たこやき大学


今日(昨日)は例の如く、たこやき大学というイベントに参加してきた。
たこやき大学は簡単に言うと、鹿児島の薩摩川内市にあるたこやき屋「たこ阪」で
店主とその女房役レクタスオさんが語る様子を再現したイベントである。

ちなみに昨年末も参加している。その時の様子はこちら
Think たこやき大学

今回はスペシャル版。
阿部学 × たこやき大学

阿部学さんは、青森が誇る知る人ぞ知る有名人である。
http://www.rakuten.co.jp/simokita/

この方がなぜ凄いのか?を読み解く会が今日のイベントであった。
しかし、いつもの如く脱線(拡散)と収束を繰り返し、
(おそらく)一部の聴衆はそのスピードに置いてきぼりだった。

だって、隠れた前提がいっぱいあるんだもの。
参加条件は1500円と指定図書から1冊買っておくというもの。
けれど、内容を聴く限り「熟読して来てね」という感じだったわけです。
ちなみに、ここは笑うところですね。
僕は面白かったので良かったんですが、あの話は人によっては「???」ってなるんじゃないかなーと思った次第。まぁ、そこまで折り込み済みなんでしょうけど。


というわけで、印象に残った話を記憶を頼りに少しばかり書いてみます。

最初は、指定図書をなぜ選んだか、今日の話とのつながりを解説。
僕が持っているのは、
「グレイトフル・テッドにマーケティングを学ぶ」
「次世代コミュニケーション・プランニング」
「戦略PR」(旧版)
ちなみにグレイトフル〜は、前回のたこ大の後にすぐ買っている。
たこ大の志向と合っているのは、喜ぶべきか・・・・


「どの文脈に商品を置くか」という言葉がすごく残っている。
最近、○○が状況に埋め込まれるにはどうなればいいか、みたいなことを考えるので。
自然ではないものを自然にするために、背景に近い色を選択する。みたいな。
PRを宣伝と訳さないことに関してはとても同意で、パブリシティの意味でPRという言葉を
使ってた自分を反省した。パブリックリレーションズなので、広報という意味で使っていたが「公的な関わり」という意味だとちょっと「広く報じる」とは違うなぁとも感じた。

戦略PRは、PRという言葉の前に戦略がつく。
つまり、一つ上の上位概念があるPRを指す。
「どういう存在として世に出て行くか」を決めて、どんなPRを設計するかが
「戦略PR」だと言える。

というか、PRを誤解している人は「とにかくメディアに出たい」みたいな感じで
PRしてほしいというが、そもそも「どう見られたいか」がない場合が多い気がする。

つまり、そこを理解していないクライアントが多ければ、
自然と戦略PRをやるようになるのでは?と思った。
まぁ、やらざるを得ないといった方が正しいのかもしれない。

某島田紳助氏の自己プロデュースからは
x軸とy軸の話が出た。これは非常に面白かった。
世間というx軸に一点しか接しないのがy軸。
つまり、一発屋。
ヒットメーカー(定番)はx軸に合わせて波のような形のy'軸をつくる。
ホタテヤさんの場合、入射角が激しいパルス型。
例:ホタブラ、ホタテパン、ホタテロなど

ここらへんの話から「遊びしろ」の話へ。
簡潔に言うと、余白って大事だよねという話。
いかにして未完成な部分をうまくコントロールするか。
あえて難しく言うと、アンコントローラブルな部分をどうコントロールするか。
ここで、MBCのTEGE2が出てきました。
番組というコンテンツに、ツイッター参加や裏てげといった遊びを含める。
ホタテヤさんの例に戻すと、「阿部さんは遊びしろが異常に長い」との結論へ。
これは図示しないとわかりにくいんですけど、映像撮ってたんでアーカイブに期待を。

そして、複雑系ネットワークの話へ。
「要は3つやねん」と言いながら、2つの話で終わってましたねんな、たこはんさん。
1.スモールワールド。2.スケールフリー。3.・・・・ん?・・・


スモールワールドで閉じた世間を表現しているのは、なるほどと感じました。
6次の隔たりって実は前提条件があるんだなと。
それは異種との関わりのような弱いネットワークだと思うんですが、
改めてソーシャルメディアの盲目性というか自分が選んだ情報しか流れていないものの怖さを感じた次第。

スケールフリーの話では、おたこはん、レクタスオさん、ホタテヤさんのネットワーク構築のタイプについて。
ごまたまごの2つサンプルがマッチしてました。
これも図がないと言葉だと伝えにくいので、アーカイブに期待。
口コミの広がりを想像する時に、こういうネットワーク理論(というか図解)って活きるんだなぁとか思ったり。
ホタテロがもしホタテ2つだったら、6つだったら。
桁が違うことが実は大きい?という話は笑えつつも真実かもしれない。
10個なら頑張って食える。
でも、20、30ってなると・・・
というか、60個で生ホタテって、どう考えても知り合いをかき集めて食べるしかない(笑)

阿部さん曰く「感謝の気持ちで送っている」と回答に
天から与えられた才能をただただ感じました。
って、そんな会じゃないやん。とか思いながら。

ホタテヤさんの日常業務的には
1つのディスプレイで注文や発注を行い
1つのディスプレイでtwitterやfacebookを見ているらしい。
まるでデイトレーダーです。

そこから、「ホタテヤさんは仕事をしているのか?」みたいな話になり、
ホタテヤさんは奥さんの方をしきりにチラチラ見ていました。

そこに阿部商店のガバナンスを垣間見ました。
それはともかく、「実は仕事1時間で、あとは遊び7時間なのでは?」という疑惑(?)が浮上。

「楽●の分析を見るヒマがあったら、遊ぶ」
という凄まじい発言が飛び出し、会場は爆笑の渦へ。

遊びの時間は濃縮された1時間の仕事のためにある。
なんというクリエイティブ。
これは真似できるのか????
もはや抽象化も一般論への抽出も困難を極める状況。

最後は「堪え性」の話へ。
ここでは、レクタスオさんのピー発言が連発。
文章には出来ません。
おたこはんがなぜ主夫をしているか?の話から、
マネジメントと教える→できるのサイクルの話へ。

インセンティブで働く労働、ロマンで働く、ミッションで働く。
ここらへんは色々思う事はありますが、けっこう納得。

「若者が即効性のある結果を求め、それがない場合挫折を感じる」
といった短期インセンティブのみで動くと、無駄なことやすぐに結果が出ないことに
取り組めなくなる。みたいな話だったかと。
んで、モノを捨てれない人は堪え性があって、そういう人は
「結果と原因が意図しない結びつき方」をした経験がある場合が多い。
なので、短期インセンティブにとらわれない。みたいな感じ。
これ、伝わらないだろうな(笑)

僕の解釈としては、
目的として設定したこととは違う「意図しない結果」が出ることがあり
それに価値を見いだせるか、ということだと思う。

エンジニアリングの対比であるブリコラージュ的な発想も近い。
エンジニアリングが作る料理を決めて食材を買うというトップダウン型であるのに対し、
ブリコラージュは冷蔵庫のありもので作れる料理を作るというボトムアップ型である。

ここらへんの考えをもう少し振り返って考えてみたい。

最後に質疑応答でのやり取りを。


アカホシ「ホタブラはなんでつくったんですか?」
ホタテヤさん「えっと、なんでだっけ?」(奥さんの方を見る)
ホタ妻さん「えっとね、『ホタブラって作れる?』って聞いてきたよね」
ホタテヤさん「そうだ、ホタブラ(のアイデア)がおりてきて
「作れる?」って聞いたら・・・」
ホタ妻さん「作れるよ」
ホタテヤさん「じゃあ作ろう」
ホタ妻さん「うん、作ろう」
会場爆笑。

おたこはん曰く「このやり取りにはまったくロジックがない」
レクタクオさん曰く「2人とも天才」

本日のたこやき大学もおいしゅうございました。
ちゃんちゃん。

ランサー