2013/03/24

デザインの傍で

最近○○デザイナーとの接点が増え、デザイナー及びデザイン的な考え方について色々思う事あり。デザイナーという職種は外から見ると同じように見えてしまうのだけど、実態はだいぶ異なる。グラフィック、Web、プロダクト、建築、パッケージ専門、UI・UXなどなどモレありダブりありな列挙ですが、みんな守備範囲が違うだけでなく生息環境がだいぶ違っていると思う。それらを見て、少し考えたことをまとめてみる。

グラフィックのヒト

まず、グラフィックとWebの人はまったく違う。グラフィックの人はフライヤー、ポスター、パッケージ、本、パンフレットなどをデザインしているわけだが、これらの特徴として「静的」で「一度に全面」で「印刷もの」である。例えば、パンフレットは動かないし、一度配ったものは更新できないし、デジタルでの色と印刷の色が異なったりする。もちろん、読み手の色覚もあるけど、たいていの場合印刷した色が認識してもらえる色だし、自分が選んだフォントが相手が読むフォントなのである。実は、ユーザーの体験は規則的なのである。だから、グラフィックの分野はレイアウトや文字組のようなものが進化しているのだろう。まぁ、歴史的な要素の方が強いかな。

Webのヒト

一方で、Webは「動的」で「一度にハードウエアサイズ」で「モニターの発色」である。
ユーザーがどんな状況でどんな通信速度でどんなデバイス(ハードウエア)を使っていつ見るかが非常に多様で幅が広い。デザイナー側が規定しにくく、ハードの進化に合わせてルールが変わっていく。だから、何かの部分で深まるというより、移り変わりが激しくトレンドといいつつも寿命が短い。Webのなかでも最近はUIデザイナーやUXデザイナーといった職種が生まれていたり、UI・UXが分かる人が欲しいという話がある。これらはWebのデザインが「かっこいい」とか「おしゃれ」とかの表面ではなく、人間工学的に使いやすく気持ちのよいデザインを求めるべきだというデザインの原点に戻ってきたのだと思う。そういう意味では、Webはグラフィックから学ぶことが沢山あるだろう。

軸のハナシ

また、縦・横という軸はグラフィックもWebもある程度同じだが、時間軸を加えて見ると非常に面白い。本のような紙ものは読み手に時間の支配権がある。読み手は好きなタイミングで読み進めてよい。早かろうと遅かろうと。しかし、Webにはボタンを押してそのプログラムが作動し、次のデータを引き出して画面に表示するまでにタイムラグが存在する。クリックすることの支配権は読み手にあるが、表示については作り手がコントロールしている。通信速度が遅い環境でも、適切なスピードで表示するために情報量を絞り、的確な表示を行う。実は縦・横・時間の3Dデザインなのである。つまり、画面のレイアウトをブラッシュアップするよりも、表示を2倍速くした方がユーザーにとっては快適かもしれない。UIという視野で考えると、どう画面設計をして遷移をどうするか?という話になるが、UXの視点で考えるとそもそも画面を省いてユーザーの快適性を追求するという発想が生まれる。

そう考えると、そりゃUX大事だわ。となりますよね。
ぼくはワークショップについて学んだり考えたりするときに、UXを学んでいた。というのも、ユーザー・エクスペリエンス・ジャーニー・マップみたいなユーザーとのコンタクト・ポイントの全体像及びコミュニケーション設計は場の設計とほぼ同義であるから。
顧客に対して、どんな体験価値を提供するかということを考える際は、上記ジャーニーマップはとても有効なツールだと思う。ググって見ると、スタバやレゴのジャーニーマップが出て来ると思うが非常にわかりやすく「なるほど!」と感じる。

建築のヒト

グラフィックとWebの対比を見ていったのだけど、僕は建築系のデザインも非常に気になっている。彼彼女らの発想は非常に構造的でロジカルでありながらも、ヒトが生活をする、生活の一部として過ごす空間をデザインしており、感性と論理の融合が凄まじい。
ランドスケープデザインのように景観をデザインするのも、空間の活用という意味では素晴らしい視点。空間というのは実際には無なのだけど、周りに何かがあることでその無が活きる。白地をどう残すか、遊びをどこまで残すか、と非常に面白い。む、この遊びを残すってどこかで話してたなぁ。

またあんまりお話したことはないけどパッケージのデザインもちょっと特殊で面白い。Webにしろチラシにしろ、商品やサービスを伝えるツールなのでコンテンツのことをうまく伝えていく必要がある。商品購入やサービス利用の最後であるパッケージは、「これを手に取りたくなるか」「買って使いたくなるか」「買って家においておきたいか」など購入の一歩手前で最後の一押しのデザインである。パッケージが変わったら売上が倍になりました!ってのはあって当然だと思う。「良い」だけじゃ何も伝わらないから、言葉なり絵なりで表現をしなきゃいけないんだよね。そう考えると、パッケージはユーザーの心理状況に合うことが第一になる。

実際の縦・横・奥行きみたいな3Dがあって、ユーザーとの関わり合いのなかで時間軸や心理軸が存在する。デザイン連呼しまっくているけど、この視点はいるよね。普通の人ももっておかないとだよね。と思い、この思いつきをしめたいと思います。

2013/03/22

sakura2013

一眼レフを買ったので写真を撮り始めた。
むつかしい・・・








新卒というカード、大学というモラトリアム

新卒に求められているものとか、大学で学ぶべきこととかを考えているのだが、まとまらない。というか、上記を大学生に伝えるといっても、大学生にも色んなタイプがあるわけでそりゃまとまらないのはしょうがないかと思って変に安心している。

もちろん、僕が伝えられることもそんなに多くはないので、聴いてもらえるターゲットの属性と伝えられるコンテンツの接点を探っていくとそんなに多くはないだろう。さて、考えながら書いてみるとするか。


1.新卒と中途の違い

スポーツで例えると、未経験者の新人と既に慣れている経験者の違いみたいなものである。力(成果)だけを考えると、中途を取った方が良い。しかし、中途は前職までの仕事のやり方や前の職場での文化が染み付いており、それが適合しない場合は、パフォーマンスが下がる。新卒で入れて、幹部候補として育てていきたいのは、ビジョン・組織文化の適合性が高い人材をポストにつけておきたいという考えが根底にある。
あとはコスト(人件費)だが、新卒の方が圧倒的に安いし、中途は前職での給与を考慮したりと考える項目が増える。また、大卒の新卒はまわりが同じような背景なので理解していないと思うが、世の中には中卒も高卒もドロップアウトもいる。いろんな学歴の人がいるわけです。労働マーケットには、そういった様々な背景を持った人が混在している。
そう考えると、どんなに馬鹿な大学生でも高卒より“上に見える”んですね。
注意点としてそう見えるだけであって、中卒だろうが高卒だろうがちゃんとしている人はちゃんとしているし、凄い人は凄いという事実。
ただ、履歴書にはその部分は表示されないので、大卒は有利なんです。学歴が必ずしも学習歴を表すわけではないのですが、文章にはおおよそ学習歴が語彙や表現という形で現れます。履歴書やエントリーシートでのスクリーニングって、やっぱり合理性があると思います。

エントリーシートの書き方などは去年書いてました。
大学生向けですが。

五月雨的に書きましたが、大学新卒で就職する際はもう少し俯瞰的に考え、「大卒新卒」のポジショニングを考えてもいいと思います。自分がどこにプロットされるかで、取るべき戦略や戦術は変わってきますし。



2.大学で学ぶべきこと

バシッと言いたいところですが、例のごとく正解はないです。最近読んだ記事で、ハーバードやMITは学部教育でリベラルアーツに力を入れているというのを読みましたが、これには納得しました。
僕は商学部で論文も書いておらず、単位も体系的に取っていません。じゃあ何をやっていたかというと、所属していた勉強会サークルで経営やらマーケやら政策やらをテーマにゼミ形式の勉強会やビジネスプランをつくってフォーラムを開催したりしていました。自分たちが学びたいこと、興味があることを深めることをやっていました。
例えば、政策なんて学校で教えてもらっているわけではないので、ひたすら本を読んだりググったり、人の話を聞きにいったりするんですね。そんなことをしていると勝手に学習する習性や、得た情報を伝えるために体系化する感覚が身に付きます。政策立案やビジネスプランは内容がしょぼかろうと、一つのアウトプットをつくるという意味では非常に為になりました。ワンメッセージワンスライドではないけど、喋るにしろ書くにしろストーリーやメッセージが大事なので、一つに括るという思考がいるのです。
僕はこういう経験を通して学習していたので、これが大学で出来ればいいなぁと思っていました笑

話をもとに戻すと、何かの情報を仕入れ、そこに思考を重ね、アウトプットを出すという経験は学生時代だからこそできることだと思います。なので、専門的な分野でもいいけど、必要な教養をテーマにするのは正解だと思う。歴史であったり、哲学であったり、普遍的な学問は普遍的な理由があるはず。凄い経営者が歴史に詳しかったり、囲碁や将棋が得意であったりすることもこういった意味がある。

実は、何を学ぶかは一番重要ではないのかもしれない。


3.じゃあ何をすべき?

働くことを体験するためにインターンにいくのもいいし、起業したりするのもいいかもしれないけど、大半の人はそんな感じではないので、今いる環境で創意工夫をしたり、ちょっとした不満を解決したり、好きなことを好きなだけ学ぶというのが大切なように思う。当たり障りのない結論だけど、ふわふわしてたり、ダラダラしてたり、なんとなーくの人がけっこう多い。別にフル稼働で頑張れ!なんて言わないのだけど、ある意味学生から学業奪ったらニートみたいなものなので、制限なく時間を使えるって凄いと思いますよ。
働くって、起業家であろうとサラリーマンであろうと、時間を使うわけです。
得られるお金によってお金の自由度は変わるけど、みんな時間は使い放題じゃなくなるわけです。投資できるものとして、お金をイメージしがちだけど、増減がなく変化しないのは時間なんだよね。じゃあ、みんな等しく与えられている24時間を何にどういう使い方をして、どんなリターンを得るかって考えどころのはず。
で、何をするかは人それぞれなので共通解はないけど、プロセスの密度についてはあげていこうぜ!と思います。

そうだよね。こういう感じの結論になっちゃうよね。



2013/03/09

音を楽しむことを教えてくれるotto & orabu




otto & orabu
これを音楽というのだろうか。
音楽であれば、何のジャンルなのか。
そう区分けすることに意味を感じなくなる “ひとつのアート”


1人ひとりが奏でる不揃いな音が全体としてひとつになる瞬間。
その場にいないとわからない感動がある。

それは圧倒的な芸術を目撃したような気持ちにも似ているが、
それよりもっと純粋で、もっと主観的で刹那的なもの。
自分が気に入った音をまっすぐに楽しんでいる結果として、そこに凄みが生まれる。

誰かのためではなく、自分が楽しむ事を突き詰めた結果なのかもしれない。
そう考えてしまうことが雑念とすら思える純粋で潔い音を楽しむ場、時間。


「ほら、おいでよ」
「こっちはこんなにたのしいよ」
と言わんばかりに。



今宵も素晴らしい時間でした。
ありがとう、otto & orabu.



こちらは昨年のグッドネイバーズジャンボリーでのLIVE


2013/03/04

マッチングとは何ですかね

いや、別に否定するわけではないんですが、正直どういう具体策があるんだろうと思いまして。
マッチングって言葉の具体的なアクションとして。
プラットフォームという言葉も似たように使われるんですが、
本来プラットフォームとは
「電車・列車への乗客の乗り降り、貨物の積み下ろしのため、線路に沿って築いた駅の施設」という意味であり
ITにおいては、ハードやソフトの基盤となるものを指すわけです。
つまり、何らかのツールやモノの流れの中心にある土台的なもの、と言えると思います。

企業と学生をマッチングとか、クリエイターと企業のプラットフォームにとか
大枠のコンセプトとしてはまったく否定するものではなく、賛成だと皆思うのですが
「それって実は超泥臭いぜ」と思わざるを得ない。

マッチングをしたい場合は、お互いに良く知らないAとBを何らかの接点で結びつけるということが想定されます。
ということは、マッチングする人はAとBについてよく知らないといけない。超当たり前ですけど。
簡単に言えば、仲人みたいなもんでしょう。ルイーダの酒場的なものかもしれません。
これが、A属性100人とB属性100人になると、単純によく知っているだけでは通用しないでしょう。
何か基軸を持って、志向や趣向を設定しないと、一人一人照会していったら時間を無限に消費します。

よし!そうだ!データベースをつくろう!
となるわけです。


マッチングをするためには
1.異なる2つ以上の属性を
2.ある一定数以上集め
3.ある基準に基づき
4.並べられる
という条件が必要そうです。

場とかWebとかはツールに過ぎない。
でさ、マッチングが必要!と言って、皆が「そうだそうだ」って言ってるとして
『なんで、そのしくみが今ないのか?』
と一拍おいて考えた方が良いと思う。

あとは、先ほど上げた4条件を満たしているのに
そこまでマッチングにつながらないものもあるのです。

大手ナビサイトとかね。

一方で、日本仕事百貨とか東京R不動産みたいな
別の切り口でマッチングをつくっているサイトもあるわけです。
切り口とは、買い手のニーズをとらえた基準/志向のこと。
マッチングは結局のところ、売買なんですよね。
スキルを売る人、労働契約を結ぶ人、などなど。
そういう意味では対等ではないことも多い。フェアではあるべきだけど、パワー関係はできちゃう。
そこをオフバランスさせるのが、マッチングする人やプラットフォームなんじゃないかなー。
安心感というか、信用というか、守られている場というか。

と久しぶりに雑感を走り書き。

ランサー