皆さんご機嫌よう。
今年度前期、鹿児島で大学の非常勤講師をさせて頂きましたが、来年度も担当させていただくことになりました!
実を言うと、すごく迷いました。
知識の専門性が低く、仕事の経験としてもゼネラリスト志向が強く、職種としても言い切れない自分の社会人経験からすると、「ああ、俺に何が提供できるのだろうか」とここ3週間悩んでおりました。ぼくだって、悩むのさ。
もともとの経緯を振り返ってみるとともに、自分の未来を複数パターン考えてみて、逆算してちょっとだけ意味付けができました。というか、全力でやろうぜ何事もみたいなそもそも気合論も降臨してきて、先ほど悩みモードから一転「おれがやらなきゃ誰がやる!」みたいな強気もなりつつ。
というわけで、ウダウダ言っても始まらん!
明るく元気にガンガンいこうぜ!と僕は改心したのです。
で、講義に関しては2コマ担当するのですが
1年生向けのキャリア系授業、3〜4年生向けのキャリア授業です。
前者はよりアクションベースドラーニング、つまり体験型の学習を強めていこうと思います。後者はより仕事に近い話をしつつ、業務疑似体験ではないけれど、仕事観を少しでも伝えられたらと思っています。清濁合わせて飲む感じ。
後者は特にWebとかインターネットとかそういったものの可能性やら面白さやら伝えいければと思っています。
あとまだこれは迷っているのですが、最大公約数を目指すのではなく、本当に頑張ろうとしている人、本気の人、本気になりたいけどなれない人、そこを対象としたい。
引き上げるなんておこがましい言い方だけど、何か足がかりが掴めれば、自分の可能性を信じて飛躍できる人がいると思うんです。
よーし、がんばるぞ!
"Some men see things as they are and ask why" "I dream of things that never were and ask why not"
2014/03/13
岐路
悩むと考えるの違いについて。そんなことを考えるメタ認知的な気持ち。
行き着くべき答えになかなか行き着かず、もどかしい。
悩むのではなく、迷っているというのが実態かもしれない。
正解を選ぶのではなく、選んだ答えを正解に変えていくような心持ちでいながらも
選択肢によって最大効果は規定されていると強く思い、ブレる。
抽象的に書いてしまうのは、論点をぼかしたいから。
具体的な事実や行動をもとに話をすると、矮小な自分が明らかになる。
それが明確になることが恐いのだろうか。
ならば、何故ぼくはキーボードを叩いて言語化しているのだろう。
書く事で整理できると思っているからか、
今の迷いをできるだけ忠実に書き留め、未来の自分に振り返りさせるためだろうか。
なぜ自分のノートに書き記すのではなく、オープンなブログに書くのだろう。
facebookに投稿して、承認を得ればいいのではないか。
と書きながら、思考して、言葉にしている。
今日見に行った「状況の配列」はパーツを再構成と配列による“世界の見方の切り替え”だったと思う。
久々に声を出して興奮してしまった。もうちょっと考えて見るよ。
既に答えは出ているのだけど、そこに納得いくまで迷いと思考と言語化を繰り返してみる。
自分のナイーブさに嫌気が指しつつも、しょうがないと思いつつも。
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