悩むと考えるの違いについて。そんなことを考えるメタ認知的な気持ち。
行き着くべき答えになかなか行き着かず、もどかしい。
悩むのではなく、迷っているというのが実態かもしれない。
正解を選ぶのではなく、選んだ答えを正解に変えていくような心持ちでいながらも
選択肢によって最大効果は規定されていると強く思い、ブレる。
抽象的に書いてしまうのは、論点をぼかしたいから。
具体的な事実や行動をもとに話をすると、矮小な自分が明らかになる。
それが明確になることが恐いのだろうか。
ならば、何故ぼくはキーボードを叩いて言語化しているのだろう。
書く事で整理できると思っているからか、
今の迷いをできるだけ忠実に書き留め、未来の自分に振り返りさせるためだろうか。
なぜ自分のノートに書き記すのではなく、オープンなブログに書くのだろう。
facebookに投稿して、承認を得ればいいのではないか。
と書きながら、思考して、言葉にしている。
今日見に行った「状況の配列」はパーツを再構成と配列による“世界の見方の切り替え”だったと思う。
久々に声を出して興奮してしまった。もうちょっと考えて見るよ。
既に答えは出ているのだけど、そこに納得いくまで迷いと思考と言語化を繰り返してみる。
自分のナイーブさに嫌気が指しつつも、しょうがないと思いつつも。
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