よく言われる成長社会から成熟社会への移行。
まぁ、GDPは微増だが、成長社会とは言えないだろう。
というか、個々の実感として成長と幸せはつながっていたのだろうか?
社会が成長・成熟以前に、社会とは人を幸せにするための関係性ではないのか?
それは機能しているのか?
経済やお金や政治、ビジネス、あらゆるものは何のために存在し、正しく機能しているのだろうか?
成長や成熟について話し合い、意見を交わすのは、この議論なしでは早いような気もする。
そこは自分としても答えをもっておきたいところ。
話を戻す。
成長の次に来る成熟社会。
そこで地団駄を踏んでいては、日本は確実に後退社会に突入する。
成熟社会の次の構想が必要不可欠。
再び成長社会を目指すのか?
数字だけでなく、幸せを伴った経済の在り方を追求していくのか。
ぼくは、循環社会を目指していくべきだと思う。
それは自然環境との共生という意味だけでなく、
持続していくための大きなシステムという意味での循環である。
社会の仕組みはよく出来ていると思う。
しかし、欠陥も多い。
その欠陥はすごくクリティカルだったりする。
問題の原因が個別の枝葉でなく、
組織や法といった大きなシステムの幹であった場合、どうしようもない。
組織や法といった大きな仕組みは変化に痛みを伴う。
それは個人の人生を変えたり、人の想いを壊したりする。
ただ、それが在ることによって変化が訪れず、
弱い人たちが苦しめられるままならば、そこに対して改革を行うべきだ。
強者しか立つことの出来ない舞台など、舞台ではない。
機会が平等でなければ、ヒトは頑張らなくなる。
自分の可能性を信じることができない社会など存在する意味がない。
それは個々の大きなシステムにもいえること。
循環は数字だけでなく、そこに想いを付加する交換なのかもしれない。
想いだけでなく、目に見えない、形にできない、センシティブなもの。
そこには、アートやデザイン、コミュニケーション。様々な要素が絡まってくる。
と、酔っ払いながら適当に書きました。
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