2011/09/17

なぜ問題を解決できないのか

最近、問題解決能力に関するワークショップを二度ほど企画・実施した。
片方は大学生向け、もう一つは社会人向け。特に後者は20代~60代と年齢幅があり、参加者は多様。
使える時間が違ったので、内容の細部はけっこう違うのだが、
どちらもそれなりの評価を頂いた様子。

内容を簡単に説明すると
論理的な問題解決について
1.問題の設定
2.原因の構造化
3.打ち手(解決策)の創案
のような流れで説明しながら、それぞれにワークを挟む。

簡単に言うと、
1.問題は何か?
2.それにはどんな原因がどう関係しているか?
3.根本的な原因を解消するアイデアは何か?
ということ。

表現を平易にすると、実はけっこう当たり前のことだったりする。
この流れに則ると、問題が解決できない場合
1.取り組む問題を間違えている
2.原因を把握できていない
3.解決策が間違っている
の3つに集約できる。

しかし、実際に「問題を解決できない」状況を見てみると、
「そもそも問題を解決しようとしていない」であったりする。
スキル・技能ではなく、マインド・心持ちが足りていない。
さて、どうしようか。この「問題」

「問題を解決しよう!」と思わないのは何故か?
それは問題意識がないから、なのか? そもそも問題意識とは何だろうか?
問題を意識すること、問題を意識する思考・姿勢といったものだろう。
「問題=理想-現状」なので、「理想を描ける」「現状を把握できる」という思考や認識する姿勢のことだろう。しかし、それらは問題定義のスキルであって、問題解決の意欲とは別の話である。

これまた意欲というわかりにくい領域なのだが、考えていくと
人が動く際は「したい」か「しなければならない」のどちらかである。
つまり、意欲にはポジティブなメンタリティとネガティブなメンタリティしかない。
できることなら、前者の方で主体的、創造的に取り組むほうがよいだろう。
では、「したい」と思えない人はどんな風になっているのか。
「したい」と思えない人の多くは、問題を回避していたり、解決を誰かに頼ったりしていることがほとんどである。そして、例外なく自信がない。
そもそも問題を解決した経験がない・少ない、と考えられるし、
壁にぶつかって突破した経験、成功体験が少ないとも言い換えられる。

学校のテストと違って、問題解決には100点が存在しない。
何を以って成功と言うのかはステークホルダーが決めることである。
「成功体験が自信になる」というのは、その経験だけでなく、枠がない中で試行錯誤をした結果
何らかのことを為し得たというプロセスに対する自信なのかもしれない。

意欲がないという状態は、問題を解決した時の状況を想像できないことではないだろうか。
もちろん、それは成功に限らず、失敗したときの悔しさかもしれない。
誰だって失敗はするし、そんな万能な(問題解決の)スキルはない。
失敗を恐れずに挑戦できるか。
それは目の前の壁やそれにぶつかる際の痛みを越えた先に、
美味しい果実があると知ることが大切なのかもしれない。

どうしても基本的なことは「教える」傾向が強くなってしまう。
それをうまく学習して、活用してもらわないと、
すぐに記憶から消えるし、ただの情報として処理されても意味がない。
いかにして、自分ごとだと意識してもらえるか。
問題を回避する姿勢から、解決する姿勢に切り替えてもらえるか。

その入り口をうまく創りだす必要がある。
結局変えるところ、引き出すところは、
マインドセットやモチベーションだったりする。

これも一つの問題解決だな。もうちょっと考えてみよう。

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