週末にはまとめて、何かを書きたい。
けれど、今思ったことは書き留めておく。
・子どもには体験をさせ、大人は意味づけをせよ。
自信を持たせることではなく、自信を保証する。
意味づけは一つ上の世界を知っていれば簡単だが、そうでない者にとっては難しい。
※もちろん、誰しもが「そうでない者」になりえる
・まずは承認を。
アイデア、意見、主張、その前に存在を認める。
話を聴く、向き合う、時間をともにする、些細な変化を確認する。
実はすごく大事なのかもな、と。
・他者のフレームワーク。特に社会という見えない者のフレーム。
みんなが使っているからと言って、そのフレーム(枠・視点・仕組み)の正しさは保証されていない。
集合知は必ず機能するわけではない。むしろ衆愚。
自分で考えた結論に対する恐れと、周りと同じことを選択する安心はリスクで見ると、逆。
・ワークショップ。むしろ、プレイショップ。
プレイ(遊び)の要素が大事、ゲーム性も。
ゲーミフィケーションを調べていて、非常に面白いと感じた。
学びと遊びはうまく組み込む。
学びを遊びの中に組み込む。遊びを学びの仲に組み込む。
学んだことを遊べるか?遊んだことから学べるか?
・経験の短期価値と長期価値
すぐに「よかった」と思える経験と、時間がたって振り返った際に「よかった」と思える経験がある。
短期的に表出する価値においては、「だまし」の要素もある。
経験をしかけた方も、経験をした方もだます側にまわる。
無意識にポジティブに紐付けてしまうから。つまり、確証バイアス。
この2ヶ月で、中学生・高校生・大学生・社会人の「教育(学習)」に関わっている。
もちろん、その属性より、個々のコミュニケーションが大事である。
教えるほどの人間ではないので、一緒に学ぶべく関わるというスタンスでありたい。
それは自分が一番の学習者でなければならないことと同じだ。
そこは見失っちゃいかんよね。
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