今はグローバルの時代だという。
シェア、ソーシャル、つながり、コミュニティ。
なぜ、こんなにも“関わり”について表す言葉が反乱しているのだろう。
その根幹にあるのは何だろう?
僕は、自分と他者の関係性なのだと思う。
それは「自分がどう考えるか」と「他者がどう考えるか」の差を摺り合わせていくことだと思う。
しかし、しばしば「どう考えるか」以前に、
「自分は何者か」「自分はどう思われているか」という問いに苦悩してしまう。
その問いは必要なのだが、そこで立ち止まっていては「自分」は広がっていかない。
自分を広げるとは何か。
自分には、大きく4つの自己が存在する。
Hiddenの領域を他人に理解してもらう「自己開示」
Blindの領域を他人から教えてもらう「フィードバック」
この2つを通じて、Openの領域を拡大すると「自己」と「自分」の認識のズレが小さくなる。
この認識の修正は自信につながる。
逆説的だが、自分に自信が持てないのは信じているが本当かどうかわからないからだ。
ましてや、その対象が「自分」という意識のなかにあるものでは尚更難しい。
なので、他者とのつながりのなかで、自己をより明らかにし、自分=自己につなげていく。
つまり、関わりとは自分と自己の証明がスタートである。
その先に、協力や恊働が生まれる。
いや、協力や恊働を経て、そこに辿り着く。
そちらの方がずっと正しい気がした。
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