リアル本屋と本について
KUBRICKが好きだ。ネットで気軽に綺麗な本が素早く買えるようになったり
オンラインメディアでも読み応えのある文章が増えたり
電子書籍プラットフォームが立ち上がろうとしていたり
リアルな本屋は実際追いつめられているんじゃないかと感じてる。
九州中を放浪した時に、本屋が田舎にあまりにも少ないことにショックを受けた記憶もある。
それでも、いや、だからこそKUBRICKは存在感がある。
ぼくは本が好きだ。それ以上に本屋が好きだ。
しかし、図書館もかなり好きなので、
きっと本に囲まれた空間が好きなんだと思う。
小さな頃から、大量の図鑑を図書館で借りて親を困らせていた。
好奇心の赴くままに、知ることを好んだ。
好き勝手に読ませてくれた環境には感謝している。
これは割と大事なことで、小さな子どもが「ダメ」という言葉にビクビクしている様子を見ると、
この親は子どもの可能性に随分と強いブレーキをかけているなぁと思う。
好奇心はつくったり、できたりするものではなく、もとからある外部への関心欲が育った結果である。
それを奪うのは、ダメ、危ないという数文字の言葉である。
奪うのは簡単だが、取り戻すには時間がかかる。
言葉は難しい。
本に囲まれた空間を一つ抽象的にすると、“知らない情報に溢れている場所”と表現できる。
そう考えると、とてもエキサイティングに思えてくる。
僕は知らない情報を知ることが単純に楽しい。
本屋は、「僕が無知であること」を可視化してくれる。
君はまだこんなに知らないぞ、と。
これからインターネットはまだまだ進化するだろうし、
新しい技術も生まれていくだろう。
それでも、触れることができる情報媒体として本はまだ生き残っていると思う。
もちろん、本の役割はそれだけでない。
例えば、インテリアとしての本もあるだろう。
本棚を見れば、その人の興味関心が分かる。
これは家具以上にパーソナリティを表すインテリアだと思う。
話が本に行き過ぎてしまった。
本と情報について、考えていることは一杯あるので
それはいずれまとめたい。
先日「MEDIA MAKERS」を読み、とても良い刺激を受けたこともあって。
情報を、本を紡いでいく
KUBRICKは何が良いのか。本というのは、章やコーナーという形式で情報が区切られている。
雑誌であれば、編集長のコラムがあったり、今号の特集があったり、
1ページ〜数ページで情報がまとまっている。
単行本であれば、章ごとに大きく内容が分かれており、章をつなげて
最終的に一つのメッセージになっている。
章やコーナーをサラダやメインデッシュとするならば、
本は一つのフルコースだと言える。
さて、このフルコースは本屋でどうやって並べているだろうか。
多くは、同じカテゴリーで並べられている。
マンガはマンガで並んでいるし、歴史の本は歴史の棚にある。
まぁ、普通に考えると、この分類が楽だし、当たり前な感じもする。
しかし、ユーザーはそう思っていない。
歴史を題材にしたマンガはどこに並べるのか?
歴史的名所を特集した旅行雑誌は温泉本の隣に置いていいのか?
記号的なカテゴライズは無機質な棚をつくっていく。
田舎の駅前の本屋には、週刊誌とマンガと教科書が置いてある。
それが売れるからである。
残念ながら、そこには好奇心に答えてくれる知恵は置いていないし、
その本屋でしかないコンセプトなど微塵もない。
商店として、商いをやっているのだ。
だから、生き物ではない本はただ無機質に並んでいるだけである。
その現実を考えていくと、あることが見えて来る。
KUBRICKの良さは、有機性と規模感である。
本や雑誌が適切な量、良いつながりで並んでおり、
それが店舗としてのコンセプトを感じさせてくれる。
「ここで買いたい」と思わせる何かがある。
それは本の並びにストーリーがあり、そのストーリーを追っていくと
欲しかった新しい本に出会える。
その体験が「ここに行きたい、ここに行けば」というリアル店舗の価値につながっている。
amazonのアルゴリズムだけではないレコメンドがそこにある。
福岡のけやき通りと箱崎にお店があります。
箱崎の方はカフェも併設されています。
行った事がない方はぜひ行ってみて、世界観を感じてみてください。
http://www.bookskubrick.jp/
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