2012/11/19

プレデザインの話 think about pre-Design

デザインに辿り着くまで

最近、デザインという言葉をよく使うようになってきた。
それに伴い、デザインという行為を考える機会も増えた。
僕はデザイナーではないのだけど、デザインされたものが好きだし、
デザインというものの可能性やデザインする際の考え方に興味がある。

原点をたどると、図画工作は小さな頃から得意だったし、
絵を見たり、写真を見たり、アートを見たり、

そういったことが無意識に好きだったのかもしれない。
しかし、それを専門に学ぼうとか、デザイナーになろうとか

微塵も考えていなかった。

大学生の頃、「コミュニケーションをデザインするための本」を読み、脳天に衝撃が走った。
デザインは有形だけでなく無形のものをも対象にすること、デザインとは課題解決であることを教えてもらった。
その頃、パワーポイントで資料をつくって発表することが多く、情報整理と情報表現についてよく考えていた。
考えていたのは、「何を言いたいのか」と「どう伝えるのか」という二つの問い。
先輩から「何が言いたいのかわからない」と詰められ、メッセージについて
悩んだり詰まったり修正したりしたのは、今となっては良い思い出である。
一方で、どう伝えるのかという手段は、「
言語と絵で構成するしかない」と当時は思っていた。
見やすいグラフをつくるだけでも、レイアウトや色、トーンなどに気をつける必要がある。
しかし、それに力を入れすぎて、“かっこいいだけ”の資料をつくったこともしばしば。
本末転倒ではあるが、おかげでパワポ作成はかなり速くなった。
その経験もあり、伝わるということについて意識するようになった。



2人の言葉

あるデザイナーの方から
「赤星さんはデザイナー的な考え方をしている」と言われたことがある。
論理的に考えたり、課題を解決するために何かを考えたり
することがデザイナーに近いということだった。
話を聞いていくと、デザインのプロセスは非常にロジカルであり、
一定の法則やパターンに則っていることがわかった。とても面白い。
またデザイナーをしている友人から「デザインする前に考えること」の話を聞いた事があり、
“プレ”(〜の前に)の大切さを語られた記憶が強く残っている。
この2つからプレデザイン、デザインする前に意識する事を思い出した。


何であれ課題を知らなければ、解決できない。
クライアントやユーザーを知らなければ、課題を理解できない。




課題解決としてのデザイン

デザインは課題解決の手法である。
デザインを頼むクライアントがいて、伝える対象となるユーザーがいる。
その二者間をつなぐのが、コミュニケーションという解決策。


しかし、改めて考えると、

(クライアントが)伝えたいことは(ユーザーが)知りたいこととイコールではない。
“伝えたいことが伝わるように”考えたとしても、必ずしも成果につながる訳でない。
そもそも依頼するクライアントの視点と利用するユーザーの視点は異なる。
両者のギャップを埋め、コミュニケーションをつなぐ翻訳者のような役割が求められる。

実際にクライアントとユーザーの属性が全く違う場合、同じ日本語を話していても使用言語が異なるだろう。
言葉に込められてた意味や使い方、時間感覚、環境、ほとんど全てが違うだろう。


だから、課題を掴むためによく知る必要がある。
そして、難しいのは言葉が必ずしも真実を表していないこと。
ユーザーは自身のニーズを完全に理解していないし、理解していたとしても正しく言語化できるわけでもない。

それはクライアントの方も同じだろう。
つまり、客観的な位置から客観視だけでなく、主体的な事実に迫っていかなければならない。

観察すべきは、行動であり、言葉と照らし合わせて、事実を把握していかなければならない。
出来事の水面下には、パターン、構造、メンタルモデルといった違うシステムが機能している。



デザイナー以外がデザインを知る必要性

デザインの対象となる領域が大きくなってきた。
というよりも、本来デザイナーは対象を絞っていなかったが、
その考え方や思想がデザイナー以外にも広がっているといった方が適切かもしれない。


例えば、ウェブサービス1つ取っても、デザイン面での進化が著しい。
聞いた話だが、バックエンドの負担が減った分、フロントエンド、

つまりユーザーインターフェースやユーザーエクスペリエンスに力を入れ始めた結果だそう。
デザイン思考も近年急激に広まり、ITによるコストダウンでプロトタイプの作成が容易になり始めた。


そして、最近3Dプリンター(スキャナー)に注目が集まっている。
Wiredのクリス・アンダーソンが出した「MAKERS」や

彼が3D RoboticsのCEOに専念するというニュースが記憶に新しい。
「デザイン」がビジネスパーソンの基礎スキルにカウントされるのは、遠くない未来かもしれない。




デザイナーがデザイン以外を知る必要性

どんな仕事でも、単純作業は代替可能で、付加価値が低くなっていく。
クライアントやディレクターから言われるままにデザインして、
それを修正して繰り返すだけでは成長しづらいだろうし、いつ他にとって替わられるかわからない。
デザイン実務だけでなく、なぜそういうデザインにすべきかを明確にしたり、背景を理解したりする必要がある。
それにアイデアについても、制作に寄った発想よりも、ユーザーの視点に立ったアイデアや他業界の知識や見方が役に立つかもしれない。
優れた和食は優れた洋食からも学べるだろう。

デザイナーは世界を広げ、自分を高める必要がある。
もちろん、デザイナー以外も。


デザインの効果

とはいえ、結局デザインって何だろう?
たどり着いた答えは、行動変容を促すという役割だった。


例えば、チラシであれば、それを見て買う/来店する。
プロダクトであれば、それを手に取る/使ってみる。
建物であれば、入ってみる/過ごす/使ってみる。


情報を提供しただけでは意味がなく、

その後受け手がどんな行動を起こすかまで設計する必要がある。
モノでも、それを使ってもらわないと意味がない。

買ってもらえれば売上という数値は上がるが、使ってもらわないとその後に続かない

意図した行動を起こしてもらうこと。
そのためには、使う仕組みや仕掛けも大事だが、気持ちを動かさないといけない。

デザインはそのスイッチだと思う。
という感じで、デザイン以前を考える今日この頃です。

2012/11/13

よろしい、ならばスタートアップウィークエンドだ Startup Weekend is awesome



結論:スタートアップウィークエンドは楽しい


先週末、Startup Weekend Fukuokaに参加した。
54時間でスタートアップを疑似体験するというもの。
アイデアピッチ→チームビルド→初期仮説作成→ユーザーインタビュー
→プロトタイプ開発&ビジネスモデル作成→プレゼン準備→プレゼン

という流れを54時間で。

来年も開催されると思うのですが、このイベントは下記のような方にオススメ。
  起業を考えている方
  とにかく開発したいプログラマー
  UIから資料作成までやりたいデザイナー などなど



どんな感じだったか

チームは5つ。
僕のチームは2名と最小人数だったが、割とちゃんとできた。
(オーガナイザーに少しデザインを手伝ってもらった)


基本的な考え方はリーンスタートアップであり、
仮説をもとに構築をすすめ、それを壊しては作りということをやっていく。
その中で、サービスのコンセプトやターゲット、主な機能が変わることがある。
これがピボットなんだな、とやりながら思った。


うちのチームが考えたサービスはCafeIn(カフェイン)。
カフェユーザーとカフェを新しい軸でつなぐサービスである。
①ユーザーの知りたい情報が手に入りにくい
②カフェはユーザーの情報を知らない
という二者の課題を解決するというもの。



ピボットという舵取り

最初はカフェに特化したSNSみたいなのをイメージしていたが、
2日目の朝にノマドワーカーをターゲットにした、
カフェをコワーキング利用できるサービスにピボットした。

しかし、3日目の朝に上記の最終版にピボットした。

なので、セカンド版でサービスを実装していたが、
プレゼンは最終版になっており、
プレゼンに一貫性がなかったことが反省点である。



正直ぼくはこのピボットという言葉をバカにしていたけど、
自分がバカだったんだなと気付いた。
(いや、過剰なカタカナ語ってね・・・この記事カタカナばっかだけど)

ピボットの一回目はサービスを具体化していく際に
誰にヒアリングするかという視点から生まれた。

「最初にこのサービスを使う人は誰だか」という問いかけ。


“そういえば、カフェで仕事したりするけど、カフェに申し訳ない感じするよね?”
という発想からコワーキング活用をする人にインタビューを行った。
この仮説はあたっていた。



答えは現場にある

しかし、このインタビューでもっと具体的なユーザーのニーズも拾えた。
「電源もあるし、Wi-Fiもあるけど、行ったら席がなかった」
「空調が寒すぎるところがある」
「静かなところがいいよね」
ここで、ユーザーがカフェを利用する理由が飲食だけではないことがわかった。



一方で、カフェにもいき、店長の方にインタビューをした。
そこで、集客から広告コスト、アイドルタイムやノマド活用など色んな話を聞いた。
ここでも予想しなかった声が拾えた。


「毎日来ている常連さんなんだけど、顔しかわからない」
カフェオーナーとカフェユーザーは情報が分断されている。


ここがビジネスモデルをつくる上で強いファクトになった。
カフェに課金するのだが、オーナーは広告コストとして月額を払うが、
リターンは集客とユーザー情報の2つである。


つまり、サービス自体はマッチングサービスや情報共有サービスだが、
カフェにとってはマーケティング支援サービスなのである。
と、ここぐらいでタイムアウト。



実際に顧客獲得をどうやっていくかというところは詰め切れなかった。
せっかくインタビューしたカフェの声もうまく反映させきれなかったし。



ちなみにサービスのキャッチコピーは
「カフェに新しいインターフェースを」
であったが、プレゼン時間が足りなかった。



オーガナイザーやジャッジに外国人がいたのも良かった。
久しぶりに英語のやり取り(単語とジェスチャー)をして、
英語の必要性を感じられたし。



結局、考えたサービスの説明&反省みたいになってしまったけど、
とても面白く充実したイベントでした!


優秀なプログラマーのHさん、助っ人で手伝ってくれたMさん、

参加者・オーガナイザーの皆様ありがとうございました!



2012/09/23

イチゴ狩りにお金を払うのはなぜか What is the reason for paying money to picking a strawberry?

イチゴ狩りへの疑問

どうも不思議に思うことがあります。
イチゴ狩りになぜお金を払うのか。
農家の視点で考えると、イチゴを収穫することは作業の一つです。
一生懸命に育てたイチゴですから、ただの作業とはひと味もふた味も違うかもしれません。
しかし、大規模となれば、その作業も簡単ではないでしょう。
この作業を他の人がやってくれて、なおかつお金を払ってくれるなんて言われると不思議に思いませんか。

話をイチゴ狩りのお客さんの視点にずらしてみましょう。
イチゴ狩り。なんだか楽しそうです。
僕自身、小さな頃に何かを狩った記憶があるのですが、何狩りだったのか思い出せません・・・

でも、イチゴ狩り、リンゴ狩り、ぶどう狩り、どれも楽しそうです。
(行く機会はないけど)
さて、農家視点からすると一つの作業である収穫作業をなぜ楽しいと感じるのでしょうか。

あえて小難しく言うと、「作業を体験に昇華させている」のだと思います。
ほんと無駄に小難しい感じです。

作業と見なしているものを別の視点から「楽しいもの」として定義しているのです。
結果的にですが。

これは日常と非日常のスイッチでもあると思います。
普段、農家でイチゴ狩りをしている方が他の農地でイチゴ狩りをするとは思えません。
しかし、普段都会に住んで生活している人にとっては、完全に日常外の出来事です。
もちろん、非日常だからと言って、離島まで泳ぐ体験なんてしたくありません。
あくまで楽しい体験と思っているから、非日常であり、やってみたいと思うのでしょう。

変に深堀りして考えると、この「狩る」という体験自体が人間のDNAレベルで原体験なのかもと思ったりします。
はるか昔、ヒトという動物として野山の果実を摘み取っていた、
ということを遺伝子が記憶しているのかもしれません。ええ、適当です。

「狩る」→「食べる」と行動が連続しているし、
それを友達や恋人、家族など近しい人間で一緒に行う、という所にも意味を感じます。
特に親が子どもにさせたい経験は親自身が頭で考えている以上に、
遺伝的に無意識な思考が働いている可能性があります。
話はずれるけど、モンスターペアレンツみたいなものも本能の暴走だと思うんですよね。
理性が効かない。またはわざと理性を効かなくさせている。

体験を再定義するという意識

イチゴ狩りの話はこれくらいにして、本論へ。
視点を変える事によって、価値を生み出すことができる。
もっと言えば、価値を理解できる人が価値の意味付けを行う。

これが気付いたことです。
あるブログを読んでいて、イチゴ狩りにいくことを農家体験だと書いていました。
これが妙に引っかかったのです。
「確かに農家体験だ。てか、農作業やん。あれ?なんで作業にお金払うの?」と。

実は似たような現象はいくつかあります。
例えば、ゴミ拾いをするボランティア、放課後の小学校で生徒を教える大学生、遠くから雪かきにくる若者。
この方たちは、なぜ同じような内容のアルバイトではなく、上記の経験を選択するのか?

これは他の人から見れば、「作業」として認識させるものを「体験」として認識し、
それを積み重ねているからでしょう。
考え方としては「労働の対価」として金銭ではなく経験を得ているのだと思います。

イチゴ狩りにおいては、その体験にお金を払っている。
その体験を買っているのだ。(もちろんイチゴ代込みだけど)

一昔話題にのぼった雪かきボランティアは、ネット上の一部でバカにされていた。
しかし、そのボランティアも当事者にとっては意味があることなのだろう。

ある人にとってはただの作業が、ある人にとってはお金を出したい体験となる。
もちろん単純化しているが、これは非常に面白い現象である。
価値観は画一化なんて言われているが、そんなことはない。
既に価値観は多様化しているし、その対比の中で体験が商売になっている。
(どちらかというとボランタリー経済だと思うけども)

だから、僕は「自分が意味のないと思う事」が「世の中にとって意味がないこと」だと決して思わない。
セレンディピティという言葉がある。探しているものとは別の価値を見つける力、といった意味を持つ。
ベンチャー企業がサービスや商品の反響を見て、方向転換するピボットという言葉がある。
これらは本質的に同じことを指していると思う。


多様化した時代は、早急なジャッジではなく、一度置いてみることが大事なのかもしれない。
色んな人がそれをのぞきこみ、色んな使い方や色んなことを思う。
そこに思いもしなかった新しい何かが眠っているかもしれない。

うん、イチゴが食べたくなってきた。

2012/09/21

未来の学校って何だろう? The future school will be what?

ツイッターで思いつきを垂れ流していると、
このままでは脳が腐ると思い始めてきたので、文章を書こうと思い、久しぶりのブログへ。
書こうと思う事はいくつかあるのだけど、取りかかりまでに時間がかかってしまう。
そんなに難しく考えず、気軽にやろうと思い直したのです。

最近、新しく人と知り合う機会が増えてきました。
それもそのはず、住む場所が変わったのだから当たり前ですね。
ソーシャルメディアでつながっていない方もいるので書いておくと、
6月末に実家の宗像市に引っ越し、8月中旬に福岡市に引っ越しました。
なので、今の生活パターンになってから、1ヶ月くらいです。


で、タイトルの件へ。

未来の学校って何だろうかと最近ぼんやりと考えています。
そのきっかけとなったのは、ある体験と1冊の雑誌でした。


他県から来た小学生とキャンプをした時に、宗像市のことをあれこれと聞かれた。 その子は宗像の名産や観光スポットについて、僕よりも詳しかった。  僕だって地元だし、24年間いた土地なんだけど。彼はGoogleで調べたと言っていた。 自我を持って話せる小学校高学年に、本当のデジタルネイティブを感じた。そして、この子たちに公教育は対応しきれていないのではないかと疑問を持った。(facebookへの投稿より引用)

この小学生とのやり取り自体は、
「ああ、やっぱ最近の子どもってGoogleで調べるとか当たり前なんだなー」と思った程度でした。
しかし、先日Wiredという雑誌の「未来の学校」という特集を読んでいて、この体験と強く結びつきました。



この雑誌はぜひ読んでほしい一冊で、
特に教育や学習に携わる人、興味がある人は必読だと思っています(勝手に笑)
MITメディアラボの話を中心に、シンガポールのフューチャースクールなどの記事があります。
海外の教育へのICT活用はもうこんなに進んでいるのかと驚きました。
先進事例を読みながら、アタマに電撃のような刺激が走るとともに、
日本の教育が変わっていかない現状に恐怖に近い感情を覚えました。

教育へのICT活用は色んなところで叫ばれています。
イメージしやすいのは、デジタル教科書でしょうか。
学校で本の教科書を使うのではなく、生徒1人ひとりがタブレットを持って、
そのタブレットにいくつものアプリケーションが入っているような感じです。
デジタル教科書を始めとするICT教育には、賛否両論があります。
ただ、大局的に見ると、遅かれ早いかれデジタル教育は進んでいくと思います。
今教えている内容をICTというツールで教えるICT活用、
デジタル社会に対応するために必要な知識やリテラシーを学ぶデジタル教育、
この2つが主軸となるでしょう。

一方で、デジタルに浸りすぎると、弊害があるのでは?というのが
反対派の論です。もちろんメリットしかないという施策などはなく、
いかにしてデメリットをつぶすかという話だと思うのですが、そうはいかず。
デジタル化が進むシリコンバレーでは、以下のようなことが行われているそうです。


中学校のリポートはワード、プレゼンはパワーポイント、データの分析はエクセルが使われる。パソコンに内蔵されているソフトは、あくまで手段の一つにすぎない。宿題や課題に関しても、「コピー&ペースト」に対しては厳罰なペナルティーが待っているのは当然であるが、スカイプで友達に相談したり、グーグルで検索したりと、パソコンの利用は“教えられる”ものではなく、自然体で身に付くような仕組みになっている。

子どもたちは、ITをいかに使うかという道具の視点を学ぶそうです。
そして、デジタルではないアナログ視点の教育もまた面白いのです。

子供たちが通っている学校では、学校の裏庭に小さな農場(The Farm)があり、そこで動物を飼育して、野菜を栽培している。
 生徒たちはこの農場の運営を手伝い、そこでの収穫物を、毎週木曜日の放課後に開かれるマーケットで売り、売り上げを学校の活動に還元する仕組みになっている。裏庭の農場で小さな経済を学んでいるのだ。

1つのプログラムだけで終わらずに、全体のカリキュラムとして
子どもたちに必要なことを学んでもらうようになっているのでしょう。
この記事であったり、wiredを読んだりして、思ったことをその時こう書いてました。

そして、2つのことを思った。「デジタルではないアナログから学べること」を体験してもらう、そして、「デジタルをもっと使いこなし創造すること」に挑戦してもらう。大人は何かを教える立場から、子どもが何かを生み出す土台づくりへ移らなければならないのではないか。(facebookへの投稿より引用)

「“教わる”から“学ぶ”へ」というサブタイトルがあった。
世の中のデジタルへの変化をふまえ、この一言をしっかり考えてみたい。
それが「未来の学校」につながっているはずだと思うので。



2012/08/03

岡山大学が凄い広告媒体をつくったようです

大学も独立行政法人となり、財源をどうやって確保するかを考えていらっしゃいます。
知的財産の活用や大学発ベンチャーなどもそういった流れがあるかと思います。

そんな中、岡山大学が凄いことを始めました。
大学内で「広告媒体」を開発したのです。

下記をご覧ください。
















そう、「給与明細の裏面」です!
岡山大学の給与が払われる日や枚数が書いてあります・・・
けっこう衝撃ですね。

気になるお値段ですが、













月25,000円だそうです。
印刷製版20,000〜30,000円かかるそうです。
約55,000円で、岡山大学の教職員等5,600人にリーチできるようです。
1人当たり10円。

興味がある方は広告出稿してはいかがでしょうか?
給与等支給明細書への広告募集 −国立大学法人岡山大学

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