それを色々と考えさせられた。
誤解を恐れずに言えば、未熟ながら、僕も政治に触れる機会があり、少し憧れを抱いている。
それは表面的なものではなくて、中身として。
現職の国会議員の話を聞いて、様々なことを感じた。
例えば、メディアでは2000万の給料をもらって、グリーン車乗り放題で、
と聞くが、実際に家庭にいくらのお金を落とせるかを聞いて愕然とする。
もちろん、政治家になるのに金を求めてなるのか!って考え方も一理あるけど、やっぱり生きていくのに経済性は必要。
そして、落選してしまえば、ただの人だということ。
これは想像を絶するリスキーさ。
ある日を境に無職になる。
ほとんどの人が家族を抱えているにも関わらず。
最後に、いわゆる"若者"の声がまったく届いていないことに驚いた。
驚愕と言った方が適切かもしれない。
今日、勉強会に来ていただいた議員である稲富さんは、一年生議員で39歳である。
つまり、若い。
でも、彼の集会や講演会に参加する人はほぼ全てが年上だという。
若者の声は、若い議員にすら届いていない。
経済成長の議論をするのは大事だ。
外需か、内需か。
次世代の産業は何か?
人口減少、少子化にどう対応するか?
とても大事だ。
でも、それを話しているおっさんたちの軸は1つでしかない。
経済的豊かさという軸だけ。
どう考えても、今の若い世代とは食い違っている。
僕らは、幼い頃にバブルが崩壊し、右肩上がりの経済成長なんて本でしか感じない。
エリートと呼ばれた大学のやつが毒ガスをばら蒔き、地震が街を破壊し、飛行機がタワーに突っ込んだ。
首相はコロコロ変わる。
そんな中で、未来って素敵だとか、夢を持つことの大切さなんて語られても、何もリアリティを感じない。
これから経済成長だ!って言われて響くのだろうか。
そんな中で、みんなが心のどこかで社会に貢献したい、変えたいと思っている。
若い世代は、金に価値を感じていない。
モノにも感じていない。
金もモノも大事だけど、自分やそのつながりを大事にしている。
個々の差はあれ、それは社会だ。
別にお金や経済性を軽視しているわけではない。
優先順位やバランスの問題だ。
世の中と自分がどう関わればいいかを悩んでいる。
「社会性」と「経済性」の狭間で。
そんな気持ちは一ミリだって、届いていない。
それは若者側にも原因がある。
政治って難しいこと。
自分とは関係のない遠いこと。
一票じゃ何も変わらない。
一理ある。
ある面で、それは正しい。
だけど、「そう思う」だけで、実際に動かないと、本当に何も変わらない。
声すら届いていない。
成長は理想への過程だ。
でも、現状は何も理解されていない。
物差しが違う。
ある意味正しくて、ある意味間違っている。
半分半分なのだろう。
もっとベターな答えがある。
自分や自分の周りに、影響が出る一歩手前まで来ている。
本当に、茹でガエル状態だ。
ビーカーに温いお湯に入れて、カエルを入れる。
ビーカーをゆっくり熱していくと、カエルは逃げることなく、茹で上がって死ぬ。
もう半分茹で上がっている。
こんな悶々とした想いを持ちながら、話を聞いていた。
普段だったら、喋ってしまう。
言えば良いのに。と思う自分がいて、言わない自分がいる。
珍しく黙っていた。
勝手に手がワインボトルとグラスに届いていた。
喉の渇きと、耐えられない時間が飲む量に比例する。
自分がちっぽけな存在で、世の中が広くて、問題は山積みで。
でも、知ったから、考えたから、感じたから、何かしないといけないんだろう。
そう思った。
政治や国が何かをしてくれる訳じゃない。
逆に、政治や国が過剰に何かをすべきではない。
過度に何かをすれば、短期的な依存をうみ、それが破綻につながる。
しないことを正しく示さなきゃならない。
それでも、政治家にはやるべきことがあるし、
それ以上に1人1人のやるべきことがある。
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