テニスで、下手な人同士がラリーをしようとしても続かない。
なぜなら、打球がちゃんと相手のところへ行かないからだ。
相手も下手だと、変なところに来た打球を捌けずにミスをしてしまう。
だから、下手な人は自分よりも上手い人と練習しなければ、ラリーは続かない。
実は、物事の習得プロセスは殆どこれと同じである。
たとえば、論理的に考えることができない二人が議論しようとしても、
主張が組み立てられないので議論にならない。
では、どうすれば議論できるようになるのか?
まず、型を知らなければならない。
テニスでいえば、フォームを覚えるというところにあたる。
型を覚えた上で、実践(議論)していくのだが、その相手は自分よりも高等な技術を持つ人にすべきである。
それが上記のラリーにあたる。
繰り返し打球を打ち続けなければ、技を習得・向上できない。
上級者に胸を借りるというわけである。
しかし、これには大きな落とし穴が存在する。
ラリーが続くことを自分の力だと勘違いすることである。
状況を間違って解釈してしまうケースだ。
この状況では、
「相手の打球が打ちやすいところに来る」
「自分が打った変な打球を返してくれる」
という二つの要因がラリーを可能にしている。
ただ、これは相手(上級者)の技術に基づくものであって、自分の技術とは何ら関係のないことである。
これを議論に当てはめると、
「自分の意見が言いやすいように聞いてくれる」
「自分が言った変な意見を整理してくれる」
というような感じになる。
結果、議論がしっかりできたのは
『自分の思考力や意見をまとめる力が向上したからだ!』と勘違いする。
これは非常に危険なことだと思う。
そもそも技術が定着・向上していないこと、勘違いにより努力しないまま時間を浪費すること
が非常に勿体無く、無駄になっているからだ。
では、どうすればいいのだろうか。
私は”ライバル”の存在が成長を促進すると考えている。
たとえば、上記のテニスで言えば、
下手な人は上級者と真剣にストロークを打ち合っても、ほとんど勝てないだろう。
仮にその割合を20回に1回とする。勝率5%。
この割合だと、相手をライバルとは認識できない。
ライバルとは、自分と同等か、もしくはそれに近い技術(能力)と共通性を持った仲間である。
あまりに相手と自分との差があると、先生と生徒の関係になる。
これは教えてもらうことの方が明らかに多い場合に発生する。
ライバルを数値で考えると、20回に7~13回勝つぐらいだろうか。
勝率35~65%。3回に1~2回勝つレベルである。
これはかなり絶妙な数値だと思っている。
なぜかというと、3回に1回は必ず負けるからだ。
気を抜けば、負けるのだ。
この緊張感と”努力すれば勝てる相手との試合”は刺激に溢れている。
勝つことで体が興奮を覚え、負けることで体が実力を知る。
栄光と挫折の連続は、継続的な成長に貢献し、人を少しずつ着実に変えていく。
私は、『成長のキードライバーは外部刺激と内省のサイクル』だと考えている。
なので、成長を望む人には、上級者とのラリーよりも、ライバルとの切磋琢磨をお薦めしたい。
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