自分が考えたり、想像したりする領域がある。
「その領域の外にあるモノや考え」を提示されたときに、おおよそ3つのパターンがある。
思考停止になるか、噛み砕いて自分の領域に持ち込むか、自分の領域を拡大しそれを受け入れるか。
一つ目は論外として、あと二つは自分の土台がどのレベルにあるかによって変わるような気がする。
土台とは考え方、考える範囲というフレームみたいなもので、
そのフレームを常に変化するものとしながら、仮定として機能させる。
自分の領域、つまりそのフレームがどれだけ上書保存され、着実な進化を遂げているか。
そして、それが通用するクオリティがどうか。
噛み砕いて持ち込むのは、まだ先の話のように感じる。
自分の領域を拡大し続け、自分の軸足をどこに置くかを決める。
まだそれから変わることもあるだろう。しかし、ここだ!と決めるべき点があるはず。
逆に言えば、それすらも決められない己の未熟さに腹が立つ。
焦らず、小さくまとまらず、それでも素早く、大地を踏みしめねば。
相反するようで反しない思考と行動を兼ねること。
これが難しい、悔しい。
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