2010/11/06

5月後半のツイート

5月後半のツイートを編集。


 ペーパーテストで求められるのは、数多く正解すること。つまり、わかりやすい(できる)ことから解決する。しかし、現実で求められるのは、「定型的な解のない問いに対し、答えをつくること」。つまり、わからない(難しい)ことを解決すること。わかりやすい問いに慣れると、難問を先送りにしてしまう

「人が知らない情報を持っている」→「情報の出どころを掴んでいる」→「自分が情報の出どころである」→「半自動的に情報が集まる」。情報の価値や源泉について考える。

世を分断して考えてはいけない。有機的に繋がった事象を出来るだけ現実に即して捉えないといけない。循環のあるシステムとして、時代の流れを組んだシナリオとして。もっともっと知って考えて動いて。それでもまだわからない事の方がはるかに多い。だから、人と協力していかなきゃいけない。

失敗を沢山経験しつつも、勝ち癖をつける必要がある。負けに慣れた人間は、負けに心地よさを感じるようになってしまう。失敗の中から勝利の栄光を掴むためには、挑戦の総量を増やさないといけない。日々何かにチャレンジしているか?現状に甘んじていないか?

リーダーシップには、内外に向けた2つのタイプが存在する。自分を立たせ、律し、導く内に向けたリーダーシップ(自立、自律、自導)。集団、組織、社会(世界)をリードする外に向けたリーダーシップ。まず、自分が自分自身のリーダーであること。そこからリーダーシップの旅が始まる。

「スキルを身に付ける」という事を考えてみる。スキルを再現可能な技術と定義。再現するには、アタマでわかる事とカラダでわかる事が必要。つまり、理論(解釈)と実践(経験)。多くの「スキルを身に付けたい」は何を指すのか?「私はもっと賢くなりたい」と同義で使われているような気がする。
だとすると、抽象的に定義されたスキルは習得が困難ではないか?そもそも何を得たいか、どう変わりたいかがアバウトなので、どういったアクションが適切なのか分からない。何となく何かをして、苦労し、学び、スキルを得た気になる。まぁ、当初の定義から言うと、間違いではない。ではそれで良いのか?
問題はスキルの定義付けでは無く、行動と解釈のフェーズにあるのかもしれない。“何をするか”よりも、“それから何を学んだか”の方が大切な要素。行動から学びが少ないと、いくら行動量が多くても意味がない。走る事と立ち止まる事のバランスがキーとなる。
労働市場的な観点から言うと、汎用性の高いスキルは競合も多い。どこでも役に立つ≒どこでも身に付くパターンが多い。なので、スキルのレベルで付加価値が変わる。逆に代替性が低いスキルは希少であるものの、活かせる場所が限定的になる。
という事は、「汎用性の高いスキルで高度なレベルを再現できる」か「そもそも希少性の高いスキル」は高付加価値となる。汎用性と希少性のマトリクスをつくるとわかりやすいかも。
なんかスキルについて、書きながら考えてみたけど、やっぱり抽象的になりがちだし、全然おもしろくない。小手先の戦術だけ話しているようなくだらなさを自分の中に感じた。

戦略、戦術、戦闘。この三層の一貫性と、理念(目的)との整合性が戦いの結果につながる。戦略なき戦術、戦術なき戦闘は、正しく機能しない。

twitterが流行ってきて、バズワードが増えた気がする。言葉の消費が加速している。安易に新しい言葉をつくり、表面的に使いこなし、飽きたら捨てる。それの繰り返し。

デパ地下で1000円の弁当を買うが、スーパーでは買わない。一人消費二極化が顕著になってきた。それは中価格帯の売上低下からも見て取れる。最安、ちょっと贅沢、最高、最愛が消費のツボ。

ジョハリの窓は「自己認識の有無」×「他者認識の有無」によって、自分を4つに分類する。自他が認識するOPEN、自だけのPRIVATE、他だけのBLIND、誰も知らないHIDDEN。優秀なリーダーはO領域が大きい。P・B領域を小さくするために「自己開示」と「フィードバック」が必要。

コミュニケーションの成り立ち。「自己理解」「他者理解」「内容の決定」「適切な表現構成の選択」。発信する自分と受信する他者の関係を理解し、背景・意図を読むことで、内容と表現を考え、決めて、実行。そして、フィードバック。意識すれば、細かいコミュニケーションでもPDCAが回せるはず。

笑い上戸な人は、幸福な気がする。
笑い上戸な人を言い換えてみる。「笑いのツボが浅い」「笑いの偏差値が低い」「笑いのディフェンスが弱い」「笑いのわきが甘い」「口角の筋肉が強い」「笑窪の自己主張が強い」「笑いの無駄遣いが激しい」「呼吸のように笑う」「にらめっこの予選落ち」「逆M1グランプリ」「天性のサクラ」

ChangeMakerは、まず自分をChangeしている。そして、自分の周囲を変え、問題を解決し、社会をより良くしていく。スタートは自身。自分を変革できない者に、周りは変革できない。自身の現状を否定し、自身の可能性を肯定する。愚直に自分と向き合う。それが大きな一歩目。

「1、目で字を追うスピード」×「2、脳が文章を理解するスピード」×「3、(一回で理解出来ない場合は)再び読み込むスピード」=読書速度。つまり、読むのが遅い原因は、目の動きが遅いか、頭の回転が遅いかのどちらか。あとは性格的に“せっかち”か“じっくり”かも関係ありそう。

【MTG設計メモ】
・前回までの概要を要旨だけ説明する
・主要論点と小論点を設定する
・論点に関係ない話をしない
・意見の拡散(ブレストなど)と収束(評価)のプロセスを明確に区別する
・意見と事実を明確にして、話す。
・主観的主張は「~と思う」 客観的主張は「~である」と言い方を分ける
・ファシリテーターとタイムキーパーを割り振り、徹底させる
・身体を整える(睡眠不足、空腹、体調不良をさける)
・ホワイトボードやポストイットを使い、人格と意見を視覚的に分離させる

定期的に、子どもとコミュニケーションすることは非常に大事。如何に自分が常識に囚われているか、如何に自分のバイアスで物事をみているか、を自覚できる。いつも子どもに勉強させてもらっている。

「面白いか面白くないかわからないゲームに5千円前後のお金を払って購入する」従来のゲームの購入方法が、「とりあえず無料で遊んでみて、お金を払ってまで熱中したくなるゲームならお金を払う」というユーザ視点にたった購入方法に変わりつつある。

地域における、“大学生”は知のたまご。どんな形で、いつ孵化させるか。どのタイミングで蛹を経験させ、成虫にさせるか。時間的にも、潜在能力的にも、大学生を地域とどう結びつけるか非常に大事。学生にとって、学びが大きいはず。キャンパスを離れ、野へ打って出ろ。

某起業家の方に「NPOの収益化ってどれくらいかかりますか?」と聞いたら、「だいたい1年間」と言われた。それまでにかかる支出は基本的に自分の生活費≒約300万だと言われた。ランニングコストは生活費。ビジネスモデルにもよるけど、リアルな数値が勉強になった。

小学生との接点は親を経由するが、中学生、高校生との接点はなかなか難しい。彼らが何を考え、どう行動しているか。1つは学校の先生、もう1つは塾講師や家庭教師。中高生を教えている大学生を経由するパターンも。あと中高生年代のマーケティングリサーチって難しそう。今はネットでやってるかな。

自由な社会での、正しい選択肢。1、自分が努力する。2、自分が努力しなくても、努力する人を応援する。3、努力している人の足を引っ張らない。

「望みであれ満足であれ、ある程度存在していれば、どんなものでも測定できる」

どんなことでも、タスクとプロセスを分解しまくれば不可能はない。

1500円の本を衝動買いしてしまうのに、1800円の映画を衝動鑑賞しない自分。趣味は読書>映画鑑賞か。でも、文化にもっとお金を払う人でありたい。美術や音楽などにも。本も文化かもしれませんが。視覚的な情報にもお金を払う!

第三の教育を考える。学校、家庭、その次。現状の主な場は、塾。しかし、塾は学校や家庭の代替としての色合いが強い。求められるのは、学校や家庭での“学び方(意識)”を変える事。主体性(学習意欲)が変われば、教えなくても自発的に学ぶ。大事なのは“学ぶことの楽しさ・面白さ”を知ること。

バスのOOHとして可能性。バス停で人は何に注視するか?それは「自分が乗る予定のバス」と「バス停に来たバス」の確認。つまり、自分が乗る予定のバスが来るまでに、そのバス停を通過する“全てのバス”を見る。あなたはCMをすべて注視しますか?バスは、ニッチだが、強力なコンタクトポイント。

情報量の劇的な増加は、脳の内外に変化をもたらした。まず、情報(例えば商品)を覚えてもらうことの重要性が高まった。「高い優先順位」「思い出すトリガーとなるワードや情景」が不可欠に。次に、PCや携帯といった外部脳のスペックが増強された。だが、ツール利用者にデジタルディバイドが存在。
情報にも階層が明らかに。単なる一個としての事実、測られたデータ、体系化された知識、本質が凝縮された知恵。情報が無作為に溢れている中で、情報の見極めが必要に。この情報処理でも差が発生。また、“解釈(意見)の質”も強く問われるように。

早口になると、強い物言いだと受け取られやすくなる。考えている以上に、伝わるようにゆっくり話す。話す速度を落とすのが課題。
共通性の低いオーディエンスに対して、どういった言葉遣いや語彙の平易さを設定するか。(1)平易な言葉でコアに絞る。(2)例え話で腑に落とす。(3)オーディエンスを参加させる。

パネルディスカッションは、論点がずれまくる。ファシリテーターの進行だけでなく、パネリスト間で議題と論点がシェアされているかどうか。言葉の抽象レベルに明らかな差がないか。パネリストに、「思考拡散型」と「思考収束型」を混ぜ込む。
プレゼンの内容が観念的であったり、抽象的であったりすると、オーディエンスの理解力に頼りすぎてしまうと思う。自身の説明能力も向上しないし。事実の明示と言葉の具体性は必ずチェックが必要。セルフフィードバックで自身の課題を考えてみる。
そもそも疲れている人たちにとって、必要な要素は何か?(1)パッション。(2)面白さ。(3)これまでの整理。(4)帰りたい気持ちへの共感。(5)囁きボイス。

世の中のモノは、自然物と人工物に分けられる。すべての人工物には、“意図”がある。その意図を理解し、モノを使わないと、結果的にモノに使われる。正しく言えば、そのモノをつくった人の意図に。意図を正しく形にすることをデザインと呼ぶのかもしれない。

新しい人が組織(コミュニティ)に入る際、枠を前提にそこに入ると、その人はその組織に合わせてしまい、個がなくなる。そして、組織の枠も大きくならない。新しい人はその組織をどう利用して、自分を活かすか、枠を大きくするか。

マーケティングは知覚の戦い。
言語野ではなく感覚野で攻める

政策を考える際、政策単体の評価と実行主体の評価を複合して考える必要があると思う。政策が良くても、実行がうまく出来ないことがある。実行する組織やシステムに問題があれば、如何に良い政策も机上の空論のまま終わる。

そもそも国というフレームワークが正しいのか?1億を越える人間をマネジメントできるのか?僕は無理だと思う。国内視点で国を経営するために、地域に主権を持たせる道州制。国外視点で安全保障を維持するために、国を越えた“超国家”のフレームワーク。この2つの仮説を考え中。

「意志」があるなら、「覚悟」を決めて、前に進め。決断力があるかどうかではなく、覚悟があるかどうか。能力があるかどうかではなく、意志があるかどうか。

他流試合をする。死合いじゃないんだから、どんどん試合をする。試合を通じて心技体が磨かれるから、死合いに勝てるようになる。自分の流派だけに拘っていてはならない。外を見て、内を観よ。

地方都市は東京を目指してはいけない。独自に、あるべき都市の理想像をデザインし、そこへと地道に向かうべき。東京を目指した都市は東京に成れず、その想いを持った人材が東京へと流出する。同様に、田舎も都市を目指してはいけない。答えを他の地域に求めれば、その地域の個性は消えていく。
九州をまわって気付いた事。福岡は九州各県から色んな面で人材を吸い上げている。しかし、その福岡から東京へと人材流出している。流出を減らすためにすること。外からの流入を増やすためにすること。人が集まるソフトをつくること。そのためにハードに命を吹き込む。

言葉が通じる前提には、認識の共有がある。リンゴと聞いて、赤い果実を想像できるのは、過去の認識経験があるから。例えば、リンゴを林檎と書くのを知らない人は、林檎という字を見ても赤い果実を想起できない。言葉の選択時に、相手の人生を想像し、過去の認識経験を予測し、適した言葉を選ぶ。

自分に足りない事と可能性を考える。僕はクレイジーに自分の可能性にかけたい。過去の自分の期待に応えたいし、明日の自分は今日の自分よりも前に進んでいたい。自分が自分の期待に応えられるからこそ、他人の期待を背負うことができる。期待は際限ない。期待に潰されないよう自分の器を大きくしたい。

「あなたは、S(ocial)の人?それともB(usiness)の人?」 この問い方は非常に面白い。事業体ではない。プリンシパルを問うのだ。 http://bit.ly/9KIlVj

“理性”に訴えかけるのが「楽しさ」。“本能”に訴えかけるのが「面白さ」。我慢できないのは、どっち?

我以外皆我師也。何処ででも誰からでも学ばなきゃ損。

「らしさ」とは身につけるもの。探すものではない。生まれながらにして”何か”になるのではなく、生きていくうちに”何か”に成る。http://bit.ly/93JZaD

「判断力」とは次の三つの能力に分解できる。 1. 今が判断するタイミングだということを認識できる(Judgement call) 2. 正しく状況判断と分析が出来る 3. 2から論理的に正しい結論を出せる

孟母三遷:幼児の教育には環境が大切であるという教え。 正しい環境づくりが正しい教育効果を生む。どこに住むか?どこで育つか?誰と育つか?

4種類の”聞く”。1、ダウンローディング:ただ、聞き流している。相手の話がストップするまで待って、自分の話をはじめる。2、ディベーティング:それが、正しいか正しくないかを議論するためだけに聞いている。
3、ダイヤローグ:相手の話がどこからきているか理解しようと聞いている。4、プレゼンシング:相手の話がどこからきているか理解しようと聞いているだけではなく、その空間に何が生まれようとしてるかを聞いている。

ソーシャル・キャピタルの日本語訳に「社会関係資本」と書いてあり、ソーシャル・メディアの日本語訳も「社会関係媒体」なんだろうな。と一人で納得。社会的と訳されるソーシャルもある。

選択肢を決める議論は、論点を明確にすることが重要。「何について話しているか」→「決める上での評価軸は何か」→「選択肢のプロコンは何か」→「どの選択肢にするか」。着実にステップを踏まないと、結論をうまく導き出せない。

ヨーロッパでは、17世紀中頃に30年戦争が終わり、各地を自由に旅行できるようになった。各地に旅行に出かけ、異国の風景を目にするようになる。そうした旅行の流行を背景に、ピクチャレスクと呼ばれるヨーロッパ最初の風景画が描かれるようになった。
その頃、「ロビンソン・クルーソー」や「ガリバー旅行記」といった異国の旅の題材にした小説も数多く書かれた。著者であるダニエルやジョナサンは、ヨーロッパ最初の活字編集メディアである情報紙の編集者・発行人でもあった。こういった情報紙は、ロンドンで流行したコーヒーハウスに置かれた。
コーヒーハウスに集う紳士たちは情報紙によって、好奇心を煽られ、その好奇な目を未知の世界経済へと向ける。そこに目をつけたのが、ロイズ・コーヒーハウスの店主ロイズだった。ロイズは投機熱を煽って紳士たちから資金を集め、投資家クラブを作り、株式会社の原型を作った。ロイズ保険会社の誕生。
さらに人が集まるコーヒーハウスには情報紙と一緒に大量のチラシが置かれるようになった。広告の誕生である。コーヒーハウスでは、政党も誕生し、現在の社会につながる様々な仕組みの原型が生まれていた。その根幹にあったのは、情報紙による情報の劇的な増加だった。

「幸福を生み出すと期待される商品を買い、消費するかとが、近代社会の幸福の基本である」(ジグムント・バウマン)
ジグムント・バウマンは、「近代社会における貧困というのは、『買い続けることができなくなった状態である』」と主張している。他にも「幸福を追求しなければいけないことの不幸」についても言及している。

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