2011/10/23

「食べること」はコミュニケーション





改めて、「食べること」はコミュニケーションなんだなと再確認したCM。
コミュニケーションの積み重ねが絆になっていくのだろう。
家族は「食べること」を重ねて、“家族らしく”なっていくのかな。

そんなことは抜きにしても、良いCMだなー。

2011/10/18

絶え間なく進んでいく

週末にはまとめて、何かを書きたい。
けれど、今思ったことは書き留めておく。

・子どもには体験をさせ、大人は意味づけをせよ。
自信を持たせることではなく、自信を保証する。
意味づけは一つ上の世界を知っていれば簡単だが、そうでない者にとっては難しい。
※もちろん、誰しもが「そうでない者」になりえる

・まずは承認を。
アイデア、意見、主張、その前に存在を認める。
話を聴く、向き合う、時間をともにする、些細な変化を確認する。
実はすごく大事なのかもな、と。

・他者のフレームワーク。特に社会という見えない者のフレーム。
みんなが使っているからと言って、そのフレーム(枠・視点・仕組み)の正しさは保証されていない。
集合知は必ず機能するわけではない。むしろ衆愚。
自分で考えた結論に対する恐れと、周りと同じことを選択する安心はリスクで見ると、逆。

・ワークショップ。むしろ、プレイショップ。
プレイ(遊び)の要素が大事、ゲーム性も。
ゲーミフィケーションを調べていて、非常に面白いと感じた。
学びと遊びはうまく組み込む。
学びを遊びの中に組み込む。遊びを学びの仲に組み込む。
学んだことを遊べるか?遊んだことから学べるか?

・経験の短期価値と長期価値
すぐに「よかった」と思える経験と、時間がたって振り返った際に「よかった」と思える経験がある。
短期的に表出する価値においては、「だまし」の要素もある。
経験をしかけた方も、経験をした方もだます側にまわる。
無意識にポジティブに紐付けてしまうから。つまり、確証バイアス。




この2ヶ月で、中学生・高校生・大学生・社会人の「教育(学習)」に関わっている。
もちろん、その属性より、個々のコミュニケーションが大事である。
教えるほどの人間ではないので、一緒に学ぶべく関わるというスタンスでありたい。
それは自分が一番の学習者でなければならないことと同じだ。
そこは見失っちゃいかんよね。

ランサー