2014/03/16

来年度も講師やりますよ!

皆さんご機嫌よう。

今年度前期、鹿児島で大学の非常勤講師をさせて頂きましたが、来年度も担当させていただくことになりました!
実を言うと、すごく迷いました。
知識の専門性が低く、仕事の経験としてもゼネラリスト志向が強く、職種としても言い切れない自分の社会人経験からすると、「ああ、俺に何が提供できるのだろうか」とここ3週間悩んでおりました。ぼくだって、悩むのさ。

もともとの経緯を振り返ってみるとともに、自分の未来を複数パターン考えてみて、逆算してちょっとだけ意味付けができました。というか、全力でやろうぜ何事もみたいなそもそも気合論も降臨してきて、先ほど悩みモードから一転「おれがやらなきゃ誰がやる!」みたいな強気もなりつつ。

というわけで、ウダウダ言っても始まらん!
明るく元気にガンガンいこうぜ!と僕は改心したのです。

で、講義に関しては2コマ担当するのですが
1年生向けのキャリア系授業、3〜4年生向けのキャリア授業です。
前者はよりアクションベースドラーニング、つまり体験型の学習を強めていこうと思います。後者はより仕事に近い話をしつつ、業務疑似体験ではないけれど、仕事観を少しでも伝えられたらと思っています。清濁合わせて飲む感じ。

後者は特にWebとかインターネットとかそういったものの可能性やら面白さやら伝えいければと思っています。

あとまだこれは迷っているのですが、最大公約数を目指すのではなく、本当に頑張ろうとしている人、本気の人、本気になりたいけどなれない人、そこを対象としたい。
引き上げるなんておこがましい言い方だけど、何か足がかりが掴めれば、自分の可能性を信じて飛躍できる人がいると思うんです。

よーし、がんばるぞ!

2014/03/13

岐路



悩むと考えるの違いについて。そんなことを考えるメタ認知的な気持ち。
行き着くべき答えになかなか行き着かず、もどかしい。
悩むのではなく、迷っているというのが実態かもしれない。
正解を選ぶのではなく、選んだ答えを正解に変えていくような心持ちでいながらも
選択肢によって最大効果は規定されていると強く思い、ブレる。

抽象的に書いてしまうのは、論点をぼかしたいから。
具体的な事実や行動をもとに話をすると、矮小な自分が明らかになる。
それが明確になることが恐いのだろうか。

ならば、何故ぼくはキーボードを叩いて言語化しているのだろう。
書く事で整理できると思っているからか、
今の迷いをできるだけ忠実に書き留め、未来の自分に振り返りさせるためだろうか。
なぜ自分のノートに書き記すのではなく、オープンなブログに書くのだろう。
facebookに投稿して、承認を得ればいいのではないか。
と書きながら、思考して、言葉にしている。


今日見に行った「状況の配列」はパーツを再構成と配列による“世界の見方の切り替え”だったと思う。
久々に声を出して興奮してしまった。もうちょっと考えて見るよ。
既に答えは出ているのだけど、そこに納得いくまで迷いと思考と言語化を繰り返してみる。

自分のナイーブさに嫌気が指しつつも、しょうがないと思いつつも。 

2014/01/26

広告は無視するし、スマホは使いすぎる

最近、行動観察にハマっています。というのも、昔からよく人が何をしているか、何を身につけているか、何を見ているかといった事を観察しているのですが、この頃そういう視点を持たずボーッとしてるなと思い、キョロキョロ見ています。

そこで一つ気になったのが、スマートフォンの"存在感"です。今では普及率が25〜30%程度と言われています。大学で講義する際も手をあげてもらうと、過半数がスマホを持っています。年代分けしたら、若年層に寄ってるかもしれませんね。日本においては、キャリアと契約して、「携帯電話」を使います。パカパカケータイ、ガラケー、フィーチャーフォンといった前の「携帯」からスマホに移る訳です。ツールとしてのスマホ。ただ、ビジネスサイドから見ると、スマホはメディアになります。ガラケーでも変わりませんが、出来る事が広がっている(画面が大きいのいうのが一番かも)

福岡市内には、バスシェルターというものがあります。バス停がおしゃれに囲ってあるんです。
MCDecaux(エムシードゥーコー)という三菱商事とフランスの屋外広告会社 JCDecauxの合弁会社。
http://www.mcdecaux.co.jp
そのシェルターに大きな広告板があります。OOHの一種です。
http://www.mcdecaux.co.jp/cityscape/

このOOHに巨大なポスターがスクロールされて、一定時間見る事ができます。
けっこうお洒落だし、見ていて面白いものが多いんですね。ところが、よく見て見るとバスを待つ人々はそんなの一切見てないんです。自分のスマホを覗き込んで、スワイプしている。これは電車やバスの中でも同じ。みんなスマホを見ている。吊り広告とか一切見てない。認識すらしてないんじゃないかというほど。操作しながら歩いている人も結構いるし、これ危ないよね。ACのCMでも危ないって言ってた。おそらくOOHみたいなメディアは認知が目的で、場所であれば利用者数がどれくらいいるかがメディア指標になると思う。もちろん、広告内容を見るとナショナルクライアント(特に飲食系)が多いから、クロスメディアで色んなところに出しているとは思う。単純な[利用者数=見る人]ではなく、[利用者数×認識する率]みたいなものが正確な指標になるのだろう。

あれ?認識してなくない?と強く思う訳です。それは場所の問題もあるかもしれないけど、“広告”と識別されると人はそれを無視するような行動をとるようになっているんだと思う。僕みたいな物好きは「これおもろいなー」とまじまじ見たりするけど、みんな忙しいし興味ないから認識する前段階で「もういいや」ってなっている。推測だが、広告掲載領域をさけているのだと思う。テレビをみていて、CMだからトイレいこう!みたいな感じ。広告やプロモーションをしていると大変だろうなとしみじみ思ったのです。どんな仕事でもその要素はあるので想いは近いかもしれないけど。

スマホが生活に密着して凄いという部分もあるし、旧来的な広告が通用しないということがあるかと思います。そして、ビジネスマンとして普通に考えると、スマホへの広告シフトしておくべきだ!となる。ターゲットが見ているメディアにきちんと出稿し、検索するであろうワードにリスティングかけておこうと。

もちろんそれは凄く真っ当で正しい。けど、スマホにそこまで中毒状態になって大丈夫?という一つの見方もあります。ソフトを直接触る事ができる身体性もそうだし、中に入っているアプリケーションを通じて色んなコミュニケーションが取れる。ツールを使いこなすことは良いけど、ツール依存はちょっと違うお話。自覚して、コントロールしないと意味がない。

テキストでやり取りするのではなく、直接会って話す。
綺麗な写真をおさめるのではなく、風景と時間をたのしむ。
ユーザーとしては、そういうスタンスが大事なんじゃないかと思うのです。

とは言え、これはメディアとして有効だからガンガンいくべきだ!と思う自分もいて、矛盾してんなと。そんな感じで終わります。

ランサー