2013/12/30

Look Back 2013




仕事についてが多くなりますが、一年の振り返りを。
NPOで教育に関わっていた人間が、Web業界で人材育成に関わる一年間という感じでしょうか。
地元ではあるが、2年離れていた福岡に馴染む一年でもありました。


1月
 仕事で某コンテストの審査を行う。審査は細々した作業が多くて、非常に苦手である(と思った)。応募作品の企画力を見て、審査員の先生と一緒に「日本の未来」を憂うなど。アイデアがストレートというか、思いつきで終わっているものが多く、もう一捻りできれば良くなるのにと思うこと多数。ただこれは自分が企画する際も同じである。「できた!」と思っても一晩寝かして、翌日にクリティカルに見てみるとモレがあったり、閃きがあったりする。自戒の意味も込めて大事。ジェームス・ヤングが「アイデアとは既知の新しい組み合わせ」と言ったが、まさにそうで評価されるアイデアとは何も全てが新しい訳ではなく、「そう来るか」「ありそうでなかった」などの編集力がベースにあると感じた。

2月
 就職支援を本格的に行う。12年11月に入社してから、個別の就職面談などはしていたが、講座を実施したり、個別面談を多く行ったりし始めたのがこの頃。就職は「人生の契機」なので、その人の価値観がよく出る。「働く」をどう考えるかは勿論、お金、主体性、人生観といった様々な想いや考えがあると強く感じた。そして真剣勝負が故に、普通に話すより体力/気力が要ると思った。あとは目利き。その人が気付いていない自分の良さ、価値を見つけ、フィードバックできるか。1on1で関わることの意味と責任を感じた。初旬には、平戸を訪れ、兄貴分と語る。平戸は美しい場所だ。「人は都市で経済学者になり、田舎で哲学者になる」その言葉を思い出した。

3月
 ソーシャルゲームのプロデューサー講座を行う。中身は講師にお任せだが、僕も少し聴講させて頂いた。ゲーム(遊び)の本質を少し垣間見たように思う。ロジェ・カイヨワによる遊びの4分類[アゴン(競争)・アレア(偶然)・ミミクリ(模擬)・イリンクス(眩暈)]は僕もワークショップを勉強していた時に知っていて、やはり学びと遊びは深い部分で同じだなと感じた次第。また1〜3月の入学者は担任を担当する事になり、あたふたしていた。出来るだけ個別に時間をとってお話するスタンスだったが、どうしてもサポートしきれない人が出てしまったのは非常に反省している。自分の力不足に悔しさを感じる。痩せようと思い、ジムに通い始める。トレーニングは習慣化すると筋肉痛が快感になって、楽しい。あと一眼レフを購入。

4月
 鹿児島の大学にて非常勤講師となる。週一の鹿児島通勤。2コマで合計60名ほどの学生に教えることに。1コマは昨年に実施したものをベースに改善を加え、もう1コマは新たにゼロから考えた。頂いていた内容は就職活動対策だったが、それだと面白くないし、即席のノウハウなんて陳腐化するし、それは就職セミナーでやればよいと思ったので、議論中心で考えてもらう内容にしました。

5月
 父親が再入院した。最悪の状況を想定することで、冷静な判断をできる、いやしようと思った。というか、そうすることしか出来ないのだが。母、弟とちゃんと家族というチームビルドをしようと僕は強く思った。それ以外にもUX FUKUOKAに参加し、目から鱗体験があったりしたが、上述した出来事が大きかった。

6月
 担当していた市からの受託講座が始まる。選考の設計など任せてもらったので非常にやりがいがあった。仮説をたてて実行するのが好きなので、ある程度任せられた方が自分には合っている。ただ、今考えるといくつか改善の余地はあったと思う。次の機会に活かそう。一方で、父親の容態が非常に悪い時期があり、精神的な負荷はとても大きかった。ただそこから持ち直した親父の体力というか、生命力には本当に驚いた。嬉しいの勿論だが、あの状況は普通の人間なら無理だったと思う。今となっては回復したので、話せる内容だが。

7月
 前述の講座がスタート。エンジニア教育は未知の領域。部門連携の仕事も本格的に始まり、在卒生以外のキャリア相談もスタート。徐々にWeb業界のことを理解する。というか、この頃から情報が増え始めて、構造的な理解が進んでいったように思う。大学での講義は終盤へ。最初はうまくアイデアや意見を言えなかった学生たちがどんどん慣れていく様子は非常に嬉しい。が、終盤になるにつれて、「彼らに何を残すか、刻むか」ということを深く悩むようになる。最後の講義では、「どちらも正しいと思える選択肢が2つあった時に何を選ぶか?」というお題で考えてもらい、僕の話をした。1人でも2人でもあの時の話を覚えていて、その人にその決断が来た時に思い出してもらえれば良い。完全に哲学の領域だったけど、それが大事だと思っている。某自治体の案件に応募するも実績が足りずに落選。3徹したのに悔しい(徹夜は関係ないw)

8月
 引き続き就職支援を行う。決まる人、決まらずに苦戦する人、諦める人。色々いるが、僕は立ち上がろうとする人を全力でサポートする。しかし、立ち上がろうとしない人にムチは打てないし、アメもあげられないのだ。一歩目は踏み出してほしい。でも、この考えは今非常にぶれていて、ゼロステップから一緒に歩むべきではないかと思っている。サポートという聞こえの良い言葉は、どこに本質があるのだろうか。自分のスタンスは見直し続けたい。カーシェアのベンチャーとインタラクティブデザインのベンチャーの企業説明会を実施。この2つはかなり面白かったので、またご縁があれば何かやりたいと思いました。YCAMのミニメイカーズフェアにいき、YCAMの施設に感動。また行きたいな。例のごとく、末には鹿児島のグッドネイバーズジャンボリーに参加。去年からだけど、恒例行事になりつつある。このイベントは毎年成長している気がするけど、ボランタリーだと大変だよねと思わざるを得ないこともあり、物事は単純ではないなと思いました。来年は参加者がいいなぁ。

9月
 本業とは別件で小布施へ。友人よりの依頼でファシリテーターを。東京では兄貴と姉御にお肉をご馳走になり、ガクブル。小布施はとても良いまちでした。一泊二日でしたが、もう少し滞在したかった。肝心のファシリはそこそこうまくいったのかなと。できれば、もう少し時間が欲しかったし、丸投げされた方がやりやすかったなと思いました。友人のD氏には感謝。小布施は栗、ワイン、日本酒などがうまいです。観光のまちとしてよくデザインされている。本業の方が振り返りで、数字が出ていないことが悔しく、僕の特徴である「スタートや立ち上げには強いが、やり抜く力(詰めの甘さ)が足りない」が露呈。という訳で、全部きっちりやり切ります。忙しくて通えなくなったのでジムを退会。痩せた以上に筋肉がついてゴツくなっていた。友人が新しい形式の塾を起業。ロゴやコミュニケーションまわりを手伝う。出だしは順調なので頑張ってほしい。あと会社の15周年パーティで記憶を失うw

10月
 父親の一時退院。無事に誕生日を自宅で祝えることに。初旬に右足の指から菌が入り込み、めちゃくちゃ腫れる。「痛風疑惑」が持ち上がるも、菌であると判明し、周囲からがっかりされる。ひどい。写真が徐々に趣味化し、休みの日に思いつきで田舎へ行く等。撮った写真をiPhotoで見て、つらくなる。

11月
 イベント参加およびイベント企画。イベント参加は身になるものもあれば、まったくないものもあった。今後はほとんど参加しないだろうな・・・。逆に企画する際は、提供価値を明確にしておかないとダメだと当たり前のことを自覚。某スタートアップサロンでは、あまり面白いことを言えずに後悔。けっこうマジメに返してしまうけど、ウケ狙いでいったほうが良かったかな。。。インターンの開拓などで企業のヒアリングが多かったとも思う。Web系は欲しいスキルセットの変化が早いなと思う日々。EC関連のイベントでは成功も失敗もあり、やはり「やってみてわかること」ってあるなと。マーケの先生から昔言われた「確からしさを集める」という言葉を思い出し、噛み締めた。

12月
 一気におわった感。会社の忘年会やら、ユーザーエクスペリエンス講座やら、各種忘年会やら。偶然バッタリ人に会って、飲む事になったり。そういうのは意外と大事なのだなと。まだあと3日飲み続けるのだろう。そして、親父も無事に移植が成功し、なんと退院。移植して50日足らずで普通の人は退院できないそうだ。我が父ながら、凄いと思う。社内では少し立ち位置が変わってきて、色々な面でコミットし、良い変化を起こしていきたい。

来年へ
 嬉しいことに大学の講師はまたオファーを頂いたので引き受けさせて頂こうと思っています。ただ内容は変えていきたいと思う。そして、親のことが一段落したので、自分のことにフォーカスしたい。そういうと言い訳のように聞こえるかもしれないが、そこを無視して打ち込むのは心理的に難しかった。僕の場合。興味があること、おもろいことはガンガンやっていきたいし、けどそこのミッションとビジョンは常に持っていたい。29歳になるかと思うと人生早いなと思うし、三十路前にもっと挑戦しておきたい。仕事もそうだし、学び/遊びもちゃんとやっていこう!気合いだ!

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