2010/06/10

ラリーを超えるライバルの存在

テニスで、下手な人同士がラリーをしようとしても続かない。
なぜなら、打球がちゃんと相手のところへ行かないからだ。
相手も下手だと、変なところに来た打球を捌けずにミスをしてしまう。
だから、下手な人は自分よりも上手い人と練習しなければ、ラリーは続かない。

実は、物事の習得プロセスは殆どこれと同じである。

たとえば、論理的に考えることができない二人が議論しようとしても、
主張が組み立てられないので議論にならない。

では、どうすれば議論できるようになるのか?

まず、型を知らなければならない。
テニスでいえば、フォームを覚えるというところにあたる。

型を覚えた上で、実践(議論)していくのだが、その相手は自分よりも高等な技術を持つ人にすべきである。
それが上記のラリーにあたる。

繰り返し打球を打ち続けなければ、技を習得・向上できない。

上級者に胸を借りるというわけである。

しかし、これには大きな落とし穴が存在する。

ラリーが続くことを自分の力だと勘違いすることである。
状況を間違って解釈してしまうケースだ。

この状況では、
「相手の打球が打ちやすいところに来る」
「自分が打った変な打球を返してくれる」
という二つの要因がラリーを可能にしている。

ただ、これは相手(上級者)の技術に基づくものであって、自分の技術とは何ら関係のないことである。

これを議論に当てはめると、
「自分の意見が言いやすいように聞いてくれる」
「自分が言った変な意見を整理してくれる」
というような感じになる。

結果、議論がしっかりできたのは
『自分の思考力や意見をまとめる力が向上したからだ!』と勘違いする。

これは非常に危険なことだと思う。

そもそも技術が定着・向上していないこと、勘違いにより努力しないまま時間を浪費すること
が非常に勿体無く、無駄になっているからだ。

では、どうすればいいのだろうか。

私は”ライバル”の存在が成長を促進すると考えている。

たとえば、上記のテニスで言えば、
下手な人は上級者と真剣にストロークを打ち合っても、ほとんど勝てないだろう。
仮にその割合を20回に1回とする。勝率5%。
この割合だと、相手をライバルとは認識できない。

ライバルとは、自分と同等か、もしくはそれに近い技術(能力)と共通性を持った仲間である。
あまりに相手と自分との差があると、先生と生徒の関係になる。
これは教えてもらうことの方が明らかに多い場合に発生する。

ライバルを数値で考えると、20回に7~13回勝つぐらいだろうか。
勝率35~65%。3回に1~2回勝つレベルである。

これはかなり絶妙な数値だと思っている。
なぜかというと、3回に1回は必ず負けるからだ。
気を抜けば、負けるのだ。

この緊張感と”努力すれば勝てる相手との試合”は刺激に溢れている。

勝つことで体が興奮を覚え、負けることで体が実力を知る。
栄光と挫折の連続は、継続的な成長に貢献し、人を少しずつ着実に変えていく。


私は、『成長のキードライバーは外部刺激と内省のサイクル』だと考えている。
なので、成長を望む人には、上級者とのラリーよりも、ライバルとの切磋琢磨をお薦めしたい。

0 件のコメント:

ランサー