2010/11/20

7月後半のツイート

7月後半のツイートを編集。


二流は一流の真似をする。三流は二流の真似をする。一流は真似ない。自らを以って、自分の憧れや理想を具現化するのが一流。比較を参考にするのか、軸にするのかにも違いあり。

パズル型:平面、解は1つ、埋める、当てはめる、一度きり、正攻法がある、完成形がデザインされている。レゴ型:立体、解は無限、創る、組み合わせる、何度でも、正攻法の意味がない、自分で完成形をデザインする。

レゴは、要素として完成されたデザイン。全体は使用者が想像し、ブロックを組み合わせ、カタチにして創造する。

Creating a World without Poverty

分析(アナリシス)から統合(シンセシス)へ。帰納・演繹からアブダクションへ。要素から全体へ。

株式会社キャンサースキャン(08.11~) ソーシャルマーケティングを用いた医療・検診の普及が事業 代表の福吉氏はPG→HBS→HBS研究員→創業という経歴
http://www.cancerscan.jp/

ブリコラージュ:「寄せ集めて自分で作る」「ものを自分で修繕する」こと。理論や設計図に基づいて物を作る「エンジニアリング」とは対照的なもので、その場で手に入るものを寄せ集め、それらを部品として何が作れるか試行錯誤しながら、最終的に新しい物を作ること。

安心をどこにおくか。ブランディングのキモ。

派手の中にシンプルがあると、シンプルさが目立つ。派手であることが希少でなくなり、シンプルが希少化するから。

理念と戦略の間に「ストーリー」が存在する。

クックパッドの成功を機に、VCは学生ベンチャーの動向を見るようになった。

米サンディスプリングス市、人口10万人、市職員5人、議員6人で経営。民間に仕事委託。余剰金46億円をたたき出す。

論理、心理、情理。”理”に着目し、流れを読む。点を点として捉えず、その背景ある線を想像する。すると、次の点が予測できる。複数の点を予測し、事前に対策を考えておくと、あたかも自然に的確な行動を取れる。シミュレーションとアクションの両立。

多数が無視している課題を"仕事化"するという視座。RT @hiwa1118: そのとおりだと思います。RT @yuichimorito: 人ができない仕事、人がやりたくない仕事、人が気づかない仕事をやるからお金がもらえる。

喜ばせる、怒らせる、笑わせる、共感させる。心と感情を動かすコミュニケーションをつくる。距離感を縮めるために、感情のやり取りによる信頼を。

口コミの仕組むことは「人が何を話題にするか」が基本にある。人間の関係性から考えると、「私はあなたが知らない話題(情報)を知っていて、それを教える」といった優越感が意識・無意識に存在し、その感情を生み出すように狙いを定める。

「答え」で導くリーダーシップ。「問い」で導くリーダーシップ。リーダーシップ・パイプラインになるのは後者。リーダーシップを発生させるリーダーシップは、組織を持続可能にする。

人はほっとくと自己中心的になる。良くも悪くも。だからこそ、誰を「中心」におくかを意識するのが大切。そう考えることが出来るから、ヒトは人間になった。

「何かわからない」という状況で飛び込んでいくのを「行動力がある」という。

バカロレア64万人の受験者中、20/20を取った30人。表彰式出席の17人全員がグランゼコール予備学級あるいはパリ政治学院へ。塾で準備したという学生は皆無。「学校の授業を復習しただけ」「哲学書とか読むの好き」http://ow.ly/2cl19

WEBサービスの媒体価値=登録者数×アクティブユーザー率×接触頻度×接触時間×接触純度。登録していて、利用して、どれくらい使っていて、どれくらい時間をかけていて、「ながら」利用か、純粋利用か。

分析的になるのは正解主義に陥るから。統合的発想を意識的に。

くだらないことの中に面白いことがあるから、面倒だ。ぼくは物凄く面倒くさがり。楽したいというより、無意味な時間を削りたい。成果主義、費用対効果主義が色濃い。その癖、堕落するから笑える。性格に一貫性などあり得ない。矛盾を内包するのが人間。

守りを固めて戦っているふりをしても、大事なものは手に入らん。身を切って痛みを知り、その痛みを越えた闘いをしなければ。傷付きやすい、傷付くのが怖い?ガラスのハートなら、溶かして再成型すれば良い。甘んじた弱さには意味がない。

iPhoneをつくらんとダメなんですよ。概念的に。いくら要素技術のクオリティを高めても、時間的なアドバンテージしか取れない。付加価値、差異化を意識し、反映させる。
任天堂がモバイルつくれば、iPhoneは生まれた。

中身のないデザインは薄氷のようなもの。

IPOを果たしたアカデミック・ベンチャー27社を対象。医療・バイオが4分の3。「日本のアカデミックベンチャー創出・成長におけるベンチャーキャピタルの役割」岐阜聖徳学園大学 高橋陽二 #kiigyokaF8 企業家研究フォーラム

ビジネスを想像すること、創造することはまったく別物。どちらかに偏った人間を集め、イノベイティブなビジネスをつくる。1人ブレストのスキルが高い人を集めて、グループブレストをすると破壊的なアイデアが飛び出す。知識領域・行動範囲・時代背景が異なる人を集める。

食材=情報。料理=思考。単品料理=アイデア。フルコース=結論。

バングラに滞在してた人のブログを読んで、現地のグラミンの実状を垣間見た。本当の事は現場でしかわからない。?良い?と言われていることが必ずしも?良いもの?である保証はない。やはり、「権威付けられたもの」「良いことが常識となっていること」には気づかぬ間に思考停止してしまう。危険。

なぜ、地方都市でベンチャーが生まれないか? ※組織的に大きくなり、売上規模が倍々になるようなスタートアップ~アーリー~ミドル~レイターを想定。 京都などは生まれやすい印象。

”誰か”のせいにするようでは何も解決できない。”自分”が何をするか。一人称で世界と関わっていこう。

龍馬伝の録画を見てますなう。彼らの”スタンダード”が変わっていく様子が面白い。というより、スタンダードを変えていく。あと冷静に見ていて気づいたのは、龍馬がニートを経て、フリーターになり、起業家になっているという点。剣術修行に出ていたあたりはトレーニングをしていたけども。

龍馬伝第二部の最終話を見て、泣いた。苦しみ、悲しみ、恐怖、いろんなモノを乗り越えていく様に。たとえブームだろうが、作られたヒーロー像だろうが構わない。知覧に行った時にも似た感情だった。手法を誤ってはいけないし、死んではいけない。ただ、強い意志は死してなお誰かに受け継がれる。

観察眼は自然の中で養われる。人工のモノは、変化しないことを前提とし、自然は変化することと存在が同義。無機質な都市では、人は五感が鈍り、脳でしか考えられなくなる。自然の中では、脳よりも感覚が重視されるものの、自然は理で生きているため、五感経由で脳も考える。

「自ら劇場を作り、自ら演じよ」

 自助・共助・公助、3点のバランスをとることが大切。過度な公助はモラルハザードにつながるし、都市部における共助の崩壊は限界”団地”を発生させ、買い物難民や孤独死へとつながっていく。自立に基づく”助”のバランスをとるために、政策による解決や役割を担うNPOの創出が必要となってくる。

押し付けられた正義は、ただの悪意に過ぎない。相手にとって、善意となる正義。

100考えて、10に整理し、1言って、2動く。

政治とは? 「明日枯れる花にも水をやることだ」(大平正芳)

新しいことをする時は、何故それが新しいかを考える。何かを変えようとする時は、何故その何かが変わっていないかを考える。気持ちが昂ぶるからこそ、大事なことを見落とさないように。

Eventually all things into one and river runs through it.

Googleは広告のロングテール。Googleを勉強しようと思った。アドワーズの話。

 思考志向でも行動志向でもなく、付加価値志向。「その場に自分がいて発揮できるバリューは何か」という問いかけを忘れない。

都会生まれ都会育ちの人にとって、「田舎=故郷」ではない。そんな人のなかにも、田舎に”精神的故郷”を求める人たちがいる。Iターンはその層にアプローチする必要あり。ある意味、都会に憧れる時代は終わった。
地域再生、地域復興は、意識・無意識に関わらず”過去の成功体験”にとらわれている。今、地域に必要なのは、「創造」。ゼロベースで資源を見直し、資産として組み立て、ビジネスを起こす。そのためには、よそ者を使うのも、地域外の企業とアライアンスするのも手段の一つ。
買いたい→訪れたい→住みたい。この三段階は地域に人を集めるステップ。外貨獲得のための、プロダクトやサービス。交流人口増加のための、観光事業。それらが雇用を創出し、定住を促進。
「教育」や「医療」に特化し、それらを観光や定住と結びつける方法もある。しかし、多くの場合のボトルネックは結びつけるための俯瞰的視野の不足と、マーケティング不足。認識している世界が狭いと、発想も狭くなりがち。

頭ごなしに移民政策を否定していたけど、最近それをアナロジーで考える。例えば、幕末は「○○藩だから、○○」とか言って枠を作っていた。当時の”藩”と、今の”国”を置き換えてみる。国を超えた共同体のカタチがあってもおかしくないし、今の常識が未来の常識だなんて有り得ない。物差しは変わる。

中国人観光客1000人が約1-2時間の滞在で落とすお金。鹿児島:1000~2000万。福岡:4000万。韓国:8000万。これは対策次第で、購買ポテンシャルを顕在化できる。

知識のための知識は自己満足のためであり、飽きる。アウトプットのためのインプットは飽きない。アウトプットが世の為、人の為なら尚更良い。でも、情報の海で一度溺れることは必要だと思う。玉石混合の中から玉を探すには、石の絶対量を身をもって知る必要があると感じている。

企業の社会的責任って、まったくもって不思議な言葉。存在していることが雇用を生み、その仕事で生きている人が大勢いるのに。
個人の社会的責任(PSR)もあるだろうし、影響力のあるアーティストの社会的責任(ASR)もある。ただ、誰も言及しないだけ。そういう認識がないから。「自分は無関係だ」と思ったときの人間の行動は、完全に我が身を忘れている。

ハードしかつくれない人はもう無理。ソフトだけも厳しい。デジタル化してる部分は特に。ソフトに適応したハード。ハードを活かすソフト。その微妙なところが難しいし、価値がある。勝手に分断したら駄目。分業は効率化であり、統合でしか革新はおきない。

利権絡んでそう。RT @yoshinorihiguch: 【地元の話】バス運営に1800万円も補助金出てる。一時間に一本ぐらいしか出てないのに、その上乗車してる人は多くて2人。バスの必要ない。誰か乗せてってあげればいい。一回乗せてあげたら100円とか。

テレビよりもラジオよりも雑誌や新聞よりも、携帯を見てる時間の方が圧倒的に長い。接触メディアとしてはインターネットに分類されるが、インターフェースの多様性も考慮しなければ。

ファッション。例えば、服を着ることは「自己表現」であり、「哲学」である。和服を身に纏うことは「歴史を着ること」。制服を着用することは「ルールを着ること」。

事実の認識と言葉の定義は、思考の限界を決め、行動の枠をつくる。脳という狭い部屋の隅に住み着く。それを固定観念や先入観という。

これは全然知らなかった。RT @shiriuma: アルワリード・ビン・タラール王子が、経営危機に陥ったアップルを救済した際のレポート。ホワイトナイトならぬ「アラビアンナイト」として紹介されている。もう13年も前の事なんですね→ http://bit.ly/bMw8T0

「共有」の価値が高まることで、「所有」の意義が見直されつつある。持たざる経営ではないが、持たざるライフスタイルが出てくるか。そうなると、機能や効用に注目が集まり、シェアリングサービスが増える。プロダクトを買う時代から、ファンクションを買う時代へ。生活者の仕分けが始まる。
セールス前提のプロダクトとレンタル前提のプロダクトは何が違うのか。耐久性、清潔さ、パッケージング。
レンタカーとカーシェアリングは、利便性や課金システム以上に、生活者の心持ちにものすごく差があるように思う。借りる、と、分かち合う。「分かち合う」の1つのカタチとしての「つながる」。ここら辺はもうちょっと考えよう。

デザインという言葉をデザイナーから解放すべし。教育という言葉を教育者から解放すべし。言葉がもっと自由になれば、発想は広がり、新しい何かが生まれる。閉鎖された言葉は行き詰まり、発想を殺し、終焉へと向かう。

「私は○○のプロではないので、○○について話すのは恐縮ですが、、」あんた、絶対プロにはなれない!そもそもプロだろうがアマだろうが何でも語っていいんだよ!と、いつも脳内でキレてます。

 「分析癖は、自信の無さの表れだ」と言われたが、半分正解だと思った。自信がないというか、ビビりなのである。常に根拠のない自信(楽観的)はある。あと半分は、知りたがりの分かりたがりの性格と習慣によるもの。という分析(笑)

弱さを内包していない「強さ」は、脆さを内包する。

インプットを変える、プロセスを変える、アウトプットを変える。いくら良いプロセスでも、インプットが弱いとアウトプットに制限がつく。まずはインプットの底上げから。

ROAS(リターン・オン・アドスペンド):広告投資対効果

在り様が物語を以て表現されている。山笠は最もデザインされた祭り。

訪れる人のための「まちづくり」を観光と呼ぶ。住んでいる人、働く人のための「まちづくり」にどうやって繋げていくか。

母が子を育てるのは、総合的デザイン。

「硝子は空間を遮断するが、視覚を遮断しない」 視覚だけでは、硝子はあってもなくても、さほど変わらない。手で触れれば、その存在は意味を持つ。空間の分断をしているから。どの感覚を頼りに、自分の世界を構築しているか。ただの硝子が1つの示唆を与えてくれた。

「マネジメントとは本来、“クラフト(経験)” “アート(直感)” “サイエンス(分析)”の三つを適度にブレンドしたものではなくてはならない」(ヘンリー・ミンツバーグ)

ボランタリーとマネタリーを組み込んだビジネスが増えてきたように感じる。近視眼的に儲かるかどうかで考える前に、何が付加価値になるかを複眼的に感じなきゃいけない。

モノを分かち合う“共有”、感情を分かち合う“共感”、アイデアを分かち合う“共創”、存在意義を分かち合う“共存”、居場所を分かち合う“共同体”。「分けられたもの」を合わせていく。分断された世界は“共”を通じて、新しく繋がっていく。re:co-mmons.

ドイツを調べていると、現代アートと伝統芸術の美術館とかが各都市にちゃんとある。いや、日本にもたくさんあるのですが、言い訳程度の建物じゃなくて、なんかその多さと仕組みづくりが全然違う。オリザさん言うところのアート教育の必要性は海外を知れば知るほど分かる気がする。

教育は語り始めると範囲が広くなるけど、それぞれのベストプラクティスがシェアされてないように思う。そして、志以外に「変えるインセンティブ」がない。

地域活性化に“悪ノリ”を。

思考は自己中心で、行動は相手中心で。

地域活性化のキモは人材。地域に埋もれている人材をかき集め、つなげ、組織化する。会社でなくとも、つながりは弱くとも、集団ではなく組織にする。目的と大きなベクトルをシェアする。人材が集積しパワーを持ち始めると、その影響は予備軍や他地域に及び、人材の求心力が高まり、人材センターになる。

送る+想い=贈る

自分の夢に対して、今の自分が圧倒的に小さい。そんな時、自分を高めようとし、近視眼的に成長やスキルアップに目がいってしまう。しかし、個が最強になろうとたかが知れている。夢に共感し、協働してくれる仲間たちが必要。今すぐでなくていい。“未来の仲間”への種を撒く。そういう意識が大切。

大事な言葉には、もう出会っている。それが“大事”だと気付いていないだけで。気付く、その瞬間がそのコミュニケーションの成立。時間を超えて、意図は伝わる。

株式会社バリュー・クリエーション・サービス。イベント・商品・組織・講演を通じて地域活性化をプロデュース。代表の佐藤真一氏は『九州じゃらん』『おとなのいい旅』編集長を歴任。元Rで地域活性に携わる起業家が多い印象。http://bit.ly/btfuFA

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