2011/12/11

所属するコミュニティの性質

大学の先生と新入生向けの授業について打ち合わせをしていて、
「学生がサークルやバイトに没頭する前に、
こちら側(学業や大学の活動)に引き込みたいですね」という話になった。

何かに取り組んだり、時間を注いだり、
それが遊びでも学びでも趣味でもいいのだけど
所属するコミュニティの性質がその人に大きく影響を与える。

その人自身がコミュニティを構成している一部でありながら、
自分の合理性や思考よりも集団という無名の思考や性格によって、物事が決まり進んでいく。

対比的に考えると、いわゆる組織には、役割や役職があり、
指令系統があり、ガバナンス(統治)が機能する。
群れのボスがいて、中ボスがいて、下っ端がいるという構図。
実際はどうかとして、ツリー状の組織図がそういうイメージであり、具体化したものであるといえる。
コミュニティはツリーでは整理しずらいし、サークル状になると考えられる。

「サークル活動のサークルはこういう意味合いから来てるのか!」
と思って調べたら、「友達の輪」から来ている説が有力だとのこと。脱線しました、失礼。

社会学的には、特定の目的を持った集団をトライブ(族)と呼ぶ。
パンクなどの若者が音楽以外にも共通性を持つことを
イギリスの学者が発見し、トライブと名付けたとのこと。
コミュニティの志向性が似ている場合は、トライブと定義した方が的確かもしれない。

言葉の定義はさておき、集団の性質が似ている場合はその活動に没頭できる状態だと考えられる。
しかし、性質が似ていない場合はコミュニティの質がおかしくなっていく。
例えば、大会優勝を目指すテニスサークル、
楽しむことが目的のテニスサークル、レクレーションの一つとしてテニスをするサークル。
全て、テニスサークルと言えるが、実態や性質は異なる。

どのタイプもあっていいのだが、そのサークル(コミュニティ)の性質と違う人が
入ってきた時にどうなるかが非常に問題。
部長が新人を厳しく指導し、優勝を目指すように諭すのか?
うちは遊びだから、本気なら違うサークルに行けと追い出すのか?

これはスポーツだから、する“こと”や目的が明確だ。
ただ、ゼミや友人関係などはもっとふわふわしたものになってくる。
“こと”や“目的”といったコンテンツよりも、そこにいる“人”(とのコミュニケーション)が
そのコミュニティの性質を作っていく場合が多い。

挑戦する人の集まりにいれば、挑戦のハードルは下がる。
堕落した人の集まりにいれば、堕落のハードルが下がる。

コミュニティから出ていくという選択肢がある。
それが出来れば、一義的には良い。
しかし、一方で自身が変わらなければコミュニティは変わらないことも事実だろう。

最近面白くないんだよなーという人は、面白くないコミュニティにいるのである。
「面白くない人が集まってこないんですよね、私のまわり」
「私は面白くない人たちと付き合っているんです」
と言っているようなものである。

ただ、「あなたは面白くしようとしていますか?」という主体の有無を問うべきだと思う。
所属するコミュニティの性質が自身に与える影響が大きい。
逆に、コミュニティを形づくる一要素としての自分がコミュニティに与える影響もまた大きいと言えるだろう。

リアルのつながりをたどったコミュニティはサークル的であり、コミュニケーションが性質を作っていくが、バーチャル(WEB)のつながりを辿ったコミュニティはトライブ的であり、コンテンツが性質を作っていくパターンが多いと思う。
このコミュニティをコンテンツ×コミュニケーションで考えるのは、勝手な僕の理論なんだけども、
何をする集まりなのか(コンテンツ)と、どんな関わりなのか(コミュニケーション)がコミュニティの要素であると思う。
あと付け加えるとすると、どんな背景を持っているか(コンテクスト)だろうか。

相互に良い影響が与えていくコミュニティをどう構築していくか。
主体的な学び、学習・成長の加速にとって、とても大事なことではないかと思う日々です。

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