2011/12/18

ボランティアの映画を見て、思い出したこと

「マジでガチなボランティア」という映画を見た。
簡単に言うと、ギャル男がカンボジアに小学校と医療所を立てるボランティアの話である。

大学生ならば、刺激を受けたかもしれない。
だが、今の自分にはあまり刺激はなかった。正直なところ。

ただ、見ていて、その学生団体という組織の運営の難しさや葛藤には非常に共感した。
ちなみに僕はイベントサークルが嫌いである。
なんとなく途上国支援も嫌いである。

でも、代表者の葛藤はよくわかった。
というか、自分の体験を重ね合わせて見ているから、
正確に言うと、映画の主人公の葛藤を理解している訳ではなく、
学生時代、自分が代表をしていた頃を思い出しただけなのかもしれない。

金銭的な対価のない、ボランティア組織はモチベーションをうまくマネジメントしないといけない。
メンバーがどんな人で、何を求めてこの組織にいて、どうなりたいのか。
代表というリーダーはメンバーに対する深い理解が必要となる。
金銭的な対価の発生する仕事や会社でも、それは同じなのだけど、
お金という尺度、インセンティブの存在は大きい。

学生時代、ビジネスプランや政策を考えて、フォーラムという形でイベントをしていた。
わずか500円の参加費を取るかどうかで議論した。
冷静に考えると、そんなに議論することではないのだが、
その議論に至る背景があったし、そこで意見対立することは組織としての活性化になったと思っている。
少なくとも、「代表がトップダウンで決める組織ではない」ということは周囲も理解してくれていたと思う。
そして、あの意見の奥にある価値観やモノの見方をぶつけあったことは無駄ではなかった。


思い出した。
社会人の先輩が言っていたこと。
「リーダーには、孤高という名の孤独がある」

僕はそのとき、高みにいけたかどうかわからないけど、
周りには理解できない苦しさや孤独はあった。

リーダーとして、それを乗り越えることが成長につながるのかもしれない。
組織のリーダーではなくても、自分が自分自身のリーダーであるという考えもある。
名著「リーダーシップの旅」には、リーダーシップの第一歩は「Lead the self」だと書いてある。

僕はこの言葉を時々思い出す。
今の自分の行動は誰によって導かれているのだろう?
自分は本当に自分で考え、目的を達成するために動いているのだろうか?
考えているのだろうか?と。

小学校をたてることが偉いことだろうか?
行動したことが偉いのだろうか?
または、ボランティアをやれば良いのだろうか?

違う。
大事なのは、自分が思ったこと・考えたこと・疑問に思ったことを
形にしたということではないだろうか。

ある教育の考え方に、コンストラクショニズムというものがある。
人は何かを創る時に学ぶというものである。
ものを創って、そのものに意味付けをする。
デザイン思考における、プロトタイピングも同じ考えだという。

実は、考えるよりも創った方が学べるのである。
状況によっては、行動も一緒かもしれない。

本当に良いことかどうか、やりたいことかどうか、
まずはやってみる。
その後で、方向転換するなり、改善するなり、やめるなりする。
ただ、おっさんにもなってそういうことをしてたら、怒られるどころではすまない。
なので、ある種若いうちの特権のような気がする。


自分の数年前を振り返って、
なんか青臭かったなーとか、
無駄に尖ってたなーとか、
思ったと同時に、
「今の俺は、ちゃんとやれてんのか?」
と昔の自分に聞かれたような時間でした。

上映された皆様、お疲れさまでした。

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